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[オピニオン]栄光は短く、恥辱は長く

Posted May. 18, 2002 10:07,   

「歴史書の中で、甘味な平和の時期は散在した点に過ぎず、苦痛を伴なう戦争と革命だけが、書斎を黒く覆っている」

金大中(キム・デジュン)大統領の息子、弘傑(ホンゴル)氏が、しょうすいした姿で検察に出頭する姿を見て、ふとドイツの哲学者ショーペンハウエルのこの憂うつな言葉が頭に浮かんだ。金大統領の政権5年も、平和と栄光に満ちた瞬間は点に終わり、困惑と苦痛の日々が政権期間の大半を埋めたというれんびんの情のためだ。

韓国最初のノーベル平和賞を受賞した栄光も、分断後初めて南北首脳会談を達成させた感激も、息子を刑務所に送らなければならない親にとっては、昼下がりの夢に終わった。大統領府への入城直後から取り上げられた偏重人事の問題や側近らの権勢誇示による民心の離反は、始まりに過ぎなかった。後半に差しかかり、一日も大統領夫妻に安らかな眠りを与えなかった3人の息子の不正疑惑は、彼の政権期間全体に暗い影を落としている。

まず、三男から司法で罰せられることになったが、検察がその機能を果たす時、残りの息子も、父親が安心できるほど法と世論の前で堂々とした態度を保てるか疑問だ。あと9カ月足らずの任期が終わって、DJ(金大中)受難が幕を下ろすことを望むことは、今の時点ではぜい沢な期待である。一生を民主化闘争に捧げ、70歳を過ぎて大統領になったDJに、なぜこのようなか酷な試練が続くのだろうか。

「紙を切るのが、ハサミの上の刃か下の刃かを考えることは、何の役にも立たない」(経済学者アルフレッド・マーシャール)という言葉のように、弘傑氏の不正の根源が、周辺人物らの作用によるものか、それともそれに流された当事者によるものかを明らかにすることは、実のないことだ。父親の大統領当選後に周囲が作った「韓国的な環境変化」が、彼の道徳性では耐えられないほど重かったなら、そう感じさせた親の責任も少なくない。

従って、今回の事件の最大の被害者は、他でもない金大統領自身だと言える。息子は、父親のうしろ姿を見て育つと言うが、その息子を見つめる民心は、さかのぼって父親に厳しい視線を送ることになるからだ。金大統領は、1997年6月2日、野党の次期大統領候補としてマスコミのインタビューで「金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏の問題の最大の責任は、(金泳三)大統領にある。(大統領になれば、子どもの国政介入を防ぐ方法があるか、という質問に)父親ができないようにすればいい。金賢哲氏の問題が父親の責任というのも、そう考えるからだ」と語っている。

甲乙の主人公が変わっただけで繰り返される恥辱の歴史は、政権の時期と正確に一致する5年後に再現された。数代前の大統領でもなく、すぐ前の大統領の息子が逮捕されるの見て、決してそんなことはないと言い切っていたDJに今回のような状況が訪れることは、どうも引っかかる。大統領になりさえすれば、抑制できない力、ある見えない手が、息子を堕落の泥沼に引き入れるというのだろうか。今、候補らが声高に唱えているものの、大統領になれば似通った事態が繰り返される可能性があるという「予言」が不吉にも頭をよぎる。

このような国家的悲劇の継承を断ち切るために、国民がすべきことは何か。ことが起こった後に大騒ぎすることはたやすいことだが、大切なことはそのような状況を未然に防ぐことだ。それが、選挙という政治行事を通じて可能なら、7カ月後の大統領選挙でどの候補を選ぶのが、最も有効な予防的行動になるのだろうか。

金大統領は過去「私は一度も嘘をついたことがない。状況が私に約束を守らせなかっただけだ」と言ったことがある。この難解な論理が彼の政治哲学なら、今日の事態は、すでに予告された災難であったと言えよう。これまで国民は政治家の嘘にあまりにも寛大であった。さらに5年を信頼を失った政権の下で過ごさないようにするために、今、有権者が判断すべき大統領選出の一次的要素は、候補の正直さである。

立っている位置と起こった状況によって毎度言葉が違い、人生観がその都度変わる候補を選べば、国民はまたも大統領の息子が検察に出頭する姿を目にするかもしれない。華やかな言葉で危機状況をまぬがれる才芸よりも、主義主張と信念が選挙の期間終始一貫した候補を選ばなければならないのは、そのためだ。

希望を語ることさえ憂うつであるが、国民にはまだ選択する未来がある。

李圭敏(イ・ギュミン)論説委員室長