
昔から、風流客がよく訪ねたとされる。テレビドラマ「秋の童話」の舞台となってからさらに有名になった。しかし、花津浦は有名なわりには華やかなところが見当たらない。軍の保養所として使われる4階建てのコンドミニアムと、3階建ての海洋博物館のほかには、これといって目立つ建物は見えない。同じく、テレビドラマの「砂時計」の人気を背負ってカフェだの、騒々しく飾り立てられた正東津(ジョンドンジン)とは、全くと言っていいほど様子が違っている。
砂浜の入口に何枚か貼られている「秋の童話」の写真だけが、ここがドラマのロケ地だったことを物語っているに過ぎない。飾らずに素朴だというところ。これが正に花津浦の魅力である。もしも、到る所に化粧を上塗りするとしたら、かえって本来の美しさが遮られるかも知れない。
江原道コソン郡の花津浦は、このようにいくつもの素顔を持っている。最初の素顔は、韓国一美しい湖と言われる花津浦湖。周囲16kmに及ぶ、東海岸最大の湖だ。5月になると、湖畔にはハマナスが咲き乱れることから「花津浦(ファジンポ)」という名前がつけられた。花津浦湖は、海の一部が海岸から分離して出来あがった、潟湖である。長い歳月の間、波に押し流されてきた砂が堆積して砂洲を成し、この砂洲が海と湖を引き離したのである。淡水と海水の割合は、7対3。そのため、フナや鯉のような淡水魚と、海から上がってきたボラやアジなど、海の魚がともに生息している。
湖の周辺に視線を移すと、花津浦の二番目の素顔が視野に入ってくる。湖の周りを覆っている松林だ。雄大でもなければ矮小でもない、適当な背丈の松ノ木が肩を並べて仲良く立ち並んでいる。緑の松林を眺めていると、頭の中がそう快になってきた。
秋になると、湖畔は葦の天国になるという。そのころから訪れる冬の渡り鳥が、葦の茂みとコスモスを背景にして、のどかに歩いている様子は、秋の花津浦の一番の魅力と言われる。
花津浦の、もう一つの素顔に出会うため、海の方に足を運ぶと、松ノ木の緑に馴染んでいた目が、しばし眩しくなる。
「白い砂浜」という名にぴったりの、白い砂が目を刺激するからだ。数万年もの間、貝殻と花崗岩が砕けて造られた花津浦の海辺の砂が、女人のつける白粉のようだ。踏むと、きいきいと音がすることから、18世紀初め李重煥(イ・ジュンファン)が書いた地理書の澤里志(テクリジ)には、鳴く鳴という字と砂の沙の字を合せて「鳴沙(ミョンサ)」と記している。
「秋の童話」の主人公ウンソとジュンソが、幼い頃砂の上に絵を描いて遊んだ所が、この砂浜である。そしてジュンソが、冷たく死んでゆくウンソを負ぶって、果てしなく歩いた所もここだ。
海辺から300メートルほど離れた所には、亀の形をした金亀島(クムグド)という島がある。金亀島は、新羅時代の水軍が基地として使っていたところ。石でざん壕を築き城を建てた当時のこん跡が、今も残っている。
花津浦は、ゆとりを持って人々の視線を避け、静かに休みたい有力者たちを引付けた。
終戦前には、日本人が好んで訪れ、李承晩(イ・スンマン)元大統領と、李起鵬(イ・キブン)元副大統領がここに別荘を建てた。北朝鮮の故金日成(キム・イルソン)主席が、韓国戦争が勃発するまで家族と余暇を過ごしていた別荘も、海沿いの丘の上にあり、不思議な感傷を醸し出している。
このうち、李起鵬前副大統領の別荘だけが、元の形のまま保存されている。3人の別荘とも、今時の人々が考える別荘とは程遠い。彼らが握っていた権力を考えると、みすぼらしいとさえ思えるくらいである。
平凡な人々にも、花津浦は愛を育み、永遠を約束した身近なところだった。1960年代の末、李シスターズは「花津浦で誓った愛」という歌の中で「黄金の波ゆれるしたしい海辺/美しい花津浦で誓った愛よ…」と歌っている。
あの時、ここで愛を誓ったとすれば、今ごろは還暦に近いはず。思い出の中へと旅立つのもいいだろう。
琴東根 gold@donga.com






