大関嶺(テクァンリョン)に新道路が開かれた。今、その道路を走って故郷に着いたところだ。この新道路は昨年の秋に開通した。早く一度はこの道路を走って故郷を訪れるべきだった。だが新道路の話を聞いただけで、こうして旧暦の正月になるまで一度も来られなかった。他の人みたいに会社勤めをしているわけでもない、ただ字を書く専業作家なのにそうだった。
わたしが初めてなのだから、妻も子どももこの道は今回が初めてだ。といって、昨年の秋にも冬にも家族連れでどこかへ遊びに行ったこともない。週末毎に高速道路は車の渋滞で、もっともスピードが遅い低速道路に変わるたびに、あれこれの理由でその隊列に合流することもなかった。
多分それはわたしだけでなく、大半の人々がそうだったと思う。ゆっくり休めるような時間がなかった。時には時間がなくて、時にはそれだけの経済力がなくて、自分の持ち場をそう簡単に離れることができなかったのだ。いや、なによりも心に余裕が持てなかったからなのかも知れない。仕事と職場を持つ大人たちは大人なりに忙しく、子どもは子どもなりに勉強の重圧感に押されながら育つのに苦労している。ニュースを聞くだけで気が詰まる思いになる世の中で、毎日の暮らしが少しの余裕もないかのように思える。もしかすると、それが今日を生きていく、子どもや大人といわず、現代を住む人ならだれもがこのような日常を送っているのかも知れない。
いつもこうして故郷に来てやっと思い付くことは、なぜもっと先に、そしてもっとたびたびここに来られなかったのか、ということだ。そして、再びハンドルをつかみ、日常の暮らしに戻ると、相変わらず、きのうがきょうとたいして変わりなく、きょうが明日になる毎日の中で、大人は大人なりに忙しく、子どもは子どもなりに苦労をする。本当に、このような祝日でもないかぎり、こんな余裕さえ考えられない日常だ。
小さい頃、ここ大関嶺の麓の小さな村に住んでいた時はまったく思いだにしなかった世の中であり、暮らしだ。あの時はみんな、あの山の向こうには何があるんだろう、と思った。いつもわたしたちの目の前を遮っている山、日が落ちる山、初冬から降った雪が春になるまで溶けない山、そんな山の中腹に九十九曲りの道の代わりに、新しい道路を開くとはだれも考えられなかった。
旧暦の正月を迎えて、この新道路を通って久しぶりに訪れた故郷。今回は村の人たちにもセベ(歳拝、正月に目上の人や両親に新年のあいさつをすること)をしたいと思っている。相変わらずわたしたちを自分の子どものように心配し、今もことあるたびに安否を気遣ってくれている人たちだ。元日の日には親せき回りをしてセベをし、その翌日は村の人々がみんな村長の家に集まって合同セベ(トベ・都拝ともいう)をする。時には忙しさを口実にこのトベには参加しないで、そのままソウルに帰ってきた。速いスピードで変わりつつある世の中で、時にはこうして昔ながらの美しい風習を守っているのも、故郷がもつ余裕だろう。
ソウルから帰ってきた故郷の友だちにも会った。半分は大都市に出て、半分は故郷の近くに住んでいる友だちも、こんな日でないと顔を合わせるのが難しい。故郷を離れて、大都市に住んでいるうちに、知らず知らずに人生で大切なものを忘れて暮らしていたことや見落としていることが多いということだろう。
それはあの大関嶺に新しく開通した道路にも間違いなく適用される。九十九曲りの道の代わりに山と山に橋をかけ、トンネルを開けて広げた新道路を通って故郷へ向かう道が、また故郷からソウルに戻る道が30分以上短縮されたという。簡単に計算すると30分ぐらい時間を稼げるという話になるが、もしかすると、そんなに早く行く30分が、わたしたちがめまぐるしく変わる世の中で忘れたり、見失った時間かも知れない。
これも、故郷に来てやっと思い付く考えだ。明らかにわたしたちは自分も知らないうちに急き立てられてその速さにてんてこまいしながら生きている。時にはゆっくり進む時間の中で、自分を省みる余裕を持つべきだ。それは大関嶺の道だけではない。この地のすべての故郷がわたしたちに与えている豊かさと余裕を、この旧暦の正月連休に感じられたらいいなと思う。たとえ短い時間だとしても、その余裕が持つ余韻が、わたしたちがふたたび日常生活に戻ってからも長く続くことを願う気持ちで、故郷から一歩早い春の便りをひとつ伝えよう。
まだ冷たい風の中でサンシュユの枝に粟粒のような花つぼみがついている。みんなの生活が、新春に花開くその花のように華やかであってほしいと思う。どうか、どうか・・・。
李舜源(リ・スンウォン)小説家






