米同時多発テロは、21世紀を生きる我々の生活パラダイムを変える転機となった。単なる飛行機事故も極度の緊張感をもたらし、新たな局面で展開されている戦争の被害状況についても驚がくさせられる。
いつのまに我々は、いきなり襲ってくる死について考えさせられる一方で、一年を振返りながら、まだやり終えていないことはないかと、自分を省みる時期になったようだ。自らの人生を考える契機として、遺言状を書いてみるのはどうだろうか。米国でのテロの際にみられた遺言の殆どは、残される者に対する思いやりだった。数秒後に死を迎えることを知って、携帯電話で夫や妻、そして愛する者に残した彼らの最後のメッセージは、驚くことに自分のためではなく、あとに残される人々を気遣う言葉だった。「愛している、これからも永遠に愛する人よ、私のために悲しまないで」と慰める最後の思いやり。ある男は妹に宛てて、二人の間に要らぬ誤解があったことを悔いることで、それまでの蟠りを解いた。また、ある勇気ある夫は、妻の乗っていた飛行機が間もなく墜落することを知らせ、つかの間でも妻が死に備えられる時間を与えている。
我々だったらどう対応していたことだろう。韓国人にとって、あとに残される者に対する思いやりはまだ馴れない言葉なのかもしれない。殆どの場合において、遺言状や遺言を残す機会が得られないに違いない。機会が与えられた人であろうとも、死んでいく自分を正当化させる言葉か或いは、皆が自分を愛しまた許してくれることを願いつつ、最期を迎えるのではないだろうか。我々は、最期まで自分を完全に解放することができず、心の蟠りを解き恨みを晴らすことができないのだ。死に際にあってまで恨めしい言葉を残し、あとに残される者に大きな負担と苦痛を与えることがある。
我々の先祖は、父母が亡くなると、3年間自分たちのために悲しむことを強制した。このように、西欧人の文化とは大きく違っていた我々にも、しだいに死に備える文化が芽生えている。有名人や若い世代の間で、遺言状を書く運動が展開されており、遺言として財産の1%を社会に還元するキャンペーンまで行われている。
我々は、遺言状を書く理由として自分を振返り、いつやってくるか分からない死を肯定的に迎えるために、そして人と人との関係を決算するためだと説明する。しかし、遺言は自分のためではなく、あとに残される人々、自分に先立たれ悲しみ苦しむ人々、自分を愛した人々への最後の思いやりでなければならない。「私は幸せだった。私のために悲しまないで」と、雅量を見せるのはどうだろうか。
遺言状はまた、自らの一時的な鬱憤を表したり、死んでしまいたい時に書くものであってはいけない。遺言状は真摯でなければならない。私が逝った後に残される者に対し、彼らの不便を和らげ、そしてしばらくの間彼らを支える財政的支援を保証したり、彼らに私が返済しきれなかった借金を知らせて、私の死後損害を被ったり苦しめられる者がいないように計らわなければならない。
こうした運動は、経済協力開発機構(OECD)加盟国の韓国が、なぜ未だに幼い子供たちを他の国に輸出しなければならないのか、なぜ国内での養子縁組や里親制度の活性化が難しいのか、その課題を解いていく過程で発生したものである。
私は「社団法人韓国里親協会」の会長を務めながら、養子縁組活性化の最も大きな障害となっているのが、財産の相続問題であることに気付くようになった。血の通っていない養子、または里子に財産を相続することが負担となって、初めから養子をもらうことを諦めるのだ。誰でも遺言状を書くようになれば、必ず相続分配を書き込むようになっており、法律的な争いことを防ぐことができる上、自分の意志どおり財産を分け与えることができる。そうなれば国内の養子縁組が盛んになり、孤児の輸出国という汚名も晴らせるだろう。
遺言状は、言葉の遊びや感傷的なエッセイではなく、熾烈さと切実さを込めた文章である。西欧社会において遺言状は、真に深刻な存在の終末と他人に対する思いやりの意味で書かれるものである。
年の暮れを迎えて、固く閉ざしていた心を開いて、他人への思いやりと分かち合うことについて考える時間になった。遺言状を書きながら、自らのこれまでの生と人間と物質関係について省みることができよう。また、他人に対する自分の思いやりを盛込むこともできる。遺言状を書くことはつまり、愛していた私が亡くなり涙する家族に向けて、私を懐かしまないように、と気遣う彼らへの思いやりにほかならないのだ。
朴英淑(パク・ヨンスク)在韓オーストラリア大使館文化公報室長(韓国里親協会長)






