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指導者の告別の辞

Posted May. 04, 2001 10:13,   

人類史上、最高のベストセラーとされる聖書のサムエルの告別の辞は何度読み返してみても深い感銘を覚える。サムエルは、イスラエルの民の圧倒的な支持を得ていた王に指導者の座を譲る席上で、このように語った。

「私が誰かの牛かロバを奪ったことがあるのか。私が誰かをだましたことがあるのか。私が誰かを弾圧したことがあるのか。私が誰かから賄賂を受け取って便宜を図ったことがあるのか。そういうことがあったとすれば、私を告発してもよかろう。その罪に対しては十分に償いたい」。イスラエルの民は、サムエルが指導者の座に就いていた間は、そのような不正がなかったことを一斉に唱えることで、彼の功績を称えた。

当時は、歴史的にみてもそれほど余裕のある時代ではなかったが、この場面だけに限って言うなら、指導者の栄誉ある退場のモデルケースを示したといえよう。

一方、大小の権力の座から去っていく韓国の指導者の中で、このように在任中の功罪について、自信を持って国民に問うことができる人が果たしてどれほどいるだろうか。退任した大統領が後ろめたさじるのもこのような過程を経ることができないほど、在任期間が堂々としたものでなかったからではないだろうか。

政権任期がまだ1年半も残っているというのに、突如「次期政権に負担を押し付けている」として、激しい議論が巻き起こっている。もちろん、口火を切ったのは、野党ハンナラ党だ。潜在的な債務まで合せれば、国の債務が昨年末現在で638兆ウォンに上るほど、今の政権に代わって債務が爆発的に増え、結局そのつけを次期政権に負わせることになったという。

ハンナラ党が16項目にわたって細かい金額まで示しながら与党を攻撃したため、政府は企画予算処など政府組織まで動員し、与党を弁護しているが、すでに全体の雰囲気は冷静に是非を論ずる理性的な軌道から逸脱しているように見える。

関心を引くのは、野党の攻撃の内容よりは、議論をめぐる与野党の対照的な姿勢だ。ハンナラ党はあたかも次期政権を確実に担うかのように、与党を攻撃している。国内経済をこれほどまでに悪化させて政権を譲るとしても、政権を譲り受ける側としては困るといった口調だ。

現政権と与党を攻撃するための政争の意味合いが強いとは言え、本当に政権を握った時のことを心配しているかのようにしかめっ面をしている場面は、失笑さえ禁じ得ない。ハンナラ党が次期政権を握った後の失政に対する責任を現政権に転嫁したい狙いがあるのなら、それはタイムマシーンの矛盾を演じる、きわめて複雑な政治的な計算に過ぎない。

さらに滑稽なのは、与党民主党の対応だ。

「次期政権の重荷になるとは余計なお世話だ。次の政権でも我々が、その重荷を背負っていくことになり、野党で居座り続けるハンナラ党とは関係ないことだ」といった余裕はどこにも見えない。まるで次期政権を既にハンナラ党に譲ったかのように、自ら落ち込んだ様子を示しているのはなぜだろうか。ハンナラ党の主張に衝かれたと思う部分が多いからだろうか。

「過去30年間の政経癒着と官主導型の経済体制によって経済を悪化させたハンナラ党に、国家債務の急増要因をめぐる避けられない原罪がある」とした民主党の反応がそうである。ハンナラ党に国家債務の原罪があるのだから、次期政権に転嫁される莫大な債務問題も、ハンナラ党が政権を担当して自ら解決すればいいとでも言いたいのだろうか。民主党がかなり謙虚になった感じだ。

国民の大多数が次期大統領選挙をめぐる投票はさて置き、いまだにどちらの候補に一票を投じるかも決めていない時点で、与野党同士だけが次期政権の負担についてつばぜり合いを展開しているのは滑稽でならない。しかし国の負債問題についてだけは、いつか必ず検証を経なければならない。政府が借金をしてもそれに見合う成果があるとすれば、債務の不可欠性は認められる。しかし、任期中に国の借金だけを膨らませ、政策も名ばかりのものになっていれば、国民は必ず選挙を通じてその責任を問わなければならない。

その時、退任する韓国の指導者が告別の辞で、「私が人気取りに夢中になって金を無駄使いし、国の借金を増やしたと思うのか。そう思うなら、私を告発しろ」と反問すれば、国民はどのような反応を示すだろうか、実際に見てみたいものだ。



李圭敏 kyumlee@donga.com