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[コラム]本当に「準備された大統領」だったのか?

[コラム]本当に「準備された大統領」だったのか?

Posted April. 12, 2001 13:31,   

97年の大統領選挙で金大中(キム・デジュン、DJ)候補側の掲げた「準備された大統領」とのスローガンは、まさに奇抜そのものだった。そうでなくても突然なIMF通貨危機のため、生活の拠り所を失ってしまった国民としては、「準備された大統領」というスローガンはこの上ない選択肢だった。

しかし、金大統領が就任して3年が過ぎた現在の状況はどうなのか。「準備された大統領」の「準備された改革」に対する期待よりは、誤った改革による混乱のために不安を感じる人が増える一方だ。よく「改革は革命より難し」と言われる。難しいだけに、原則と方向も確固としたものであるべきだし、準備も緻密なものでなければならない。そして改革の主体は道徳的な力を持ち備えなければならない。しかし、DJ政権の改革は何一つ効力を持つものがない。

先ず、準備の足りなさが挙げられる。改革とは簡単なことではあるまい。 緻密で精巧なプログラムを持っていなければ不可能だ。それに莫大な費用も必要だ。何処にどれだけのお金がかかるかという計算を正確にし、それによる財源の調達策を事前に講じねばならない。「事業を推進してみたら、お金が多くかかりますね」という風な「どんぶり勘定」では困るのだ。

時間も必要だ。革命は一日に終了する反面、改革はそうじゃない。利害当事者との対話と説得作業を通じて合意を求める過程が要求される。この過程を経てこそ改革の副作用は最小限に抑えられ、効果は極大化する。いくら改革性が豊富で推進力が強い閣僚だとしても、閣僚一人で改革を成功させることは不可能だ。名分と当為性のみを掲げ、短時間で何かを成功させようという強迫観念にとらわれて物事を台無しにしてしまった例は、教育改革と医療改革だけでももうだくさんだ。

改革には一貫した原則があるべきだ。しかし、財閥改革の核心である現代建設を無理に延命させていく過程を見ても、原則というものは何処にも見当たらない。

改革には力が付き物だ。道徳的な力が必要だ。先ず、改革の主体らが道徳的に自信があるべきだ。金泳三(キム・ヨンサム、YS)大統領の「文民改革」も、前半期は国民から讃えられたのが、後半に入り、息子のキム・ヒョンチョル氏の不祥事が発覚し、政権が道徳的な力を失い、改革は水泡に帰してしまった。

だとすれば、国民の政府は? 作年末、金大統領と民主党の最高委員の懇談会の場で、例のキム・ヒョンチョル氏の話が持ち出された。強直な鄭東泳(ジョン・ドンヨン)議員が、「国民の目には、我が党の権魯甲(クォン・ノガプ)最高委員がYS政権当時のキム・ヒョンチョル氏のように映し出されています」と厳しく指摘した。「キム・ヒョンチョル氏のように…」とはどんな意味なのか。YS政権当時のキム・ヒョンチョル氏と彼の周辺人物のしでかしたことのようなあらゆる不祥事関連の疑惑が権最高委員の周辺に雲のように漂っており、それがいつ夕立になって降り出すか分からないとの警告ではなかっただろうか。

この警告を聞いて、引退した権氏がちょうど3ヶ月ぶりに政治一線に復帰した。彼が新しくオープンした事務室の開所式には、名の知れた人々が長蛇の列を作った。権氏の復帰に際して行なわれた改閣や与圏の改編を通じて、彼と親しい東橋(ドンギョウ)洞系の旧主流人士らが要職に返り咲いた。不祥事に関わったとの疑惑で退いた閣僚は青瓦台(チョンワデ・大統領府)の核心ポストに、無理な教育改革で教師の糾弾の対象になった元教育相は党政策委の議長になった。これを受けてある野党議員は、国会の対政府質問の席で「東橋洞の独裁時代」と非難した。何はともあれ、DJ政権の残りの任期中、いわゆる改革主導勢力はDJ直系の東橋洞系の人士らであることは間違いない。彼らからどれほど強力な改革推進の力が発生するかは見守るべきである。

より重要なことは、改革の方向性であろう。未だに改革すべき課題は山ほどあるものの、早くから政権の再創出に追われ、改革がその方向性を失ってしまうのではないか懸念される兆候が一つ二つ見え始めている。最近、ことある毎に浮上している改憲論が代表的だ。実に疑問と思わざるを得ないことは、金大統領や民主党の代表は、改憲を推し進める意志も計画もないと言いながら改憲論を自制しろと指示したということである。にもかかわらず、青瓦台や民主党からは改憲論が継続的に浮上している。党の総裁や代表の指示が影響力を失ったのか、それとも政権再創出のシナリオによる役割分担作戦なのか知りたくなる。

政権再創出に向けられた地ならし作業として、改憲論を動員した既存の政治構図の再編と共に批判性の強いマスコミへの戒めもエスカレートしているような気がする。政府が言論改革を主張しながら批判の記事をよく書くとの理由で出入り記者の出入りを封鎖する状況を目にすると、もはや改革は正常軌道から脱してしまったのではないかという気もする。



魚慶澤(オ・キョンテク)論説室長 euhkt@donga.com