
政府組織法改正により教育相が副総理に格上げされ、教育省も教育人的資源省へと変貌することになった。 これを機に、政府組織の枠組み上、7位に止まっていた教育省のあり方も、財政経済省に次ぐ2位に急上昇した。今後、教育人的資源省は国の人材資源の開発と教育という、二つの中心的役割を果たすことになる。
しかし、教育相を副総理レベルに格上げし、組織体系を格上げしたからといって、果たして教育が正しい方向に向かい、教育本来の役割と機狽傈ハたすことができるかは未知数である。これまでの教育現実を振り返ってみると、政権が変わり、長官が変わるたびに跛行的な教育制度が施行されてきた。それだけでなく、 現場経験のない教育官僚が教育の支援をしなければならないという、 本来の任務を忘却したまま教育政策を独占めして教育主体の上に君臨し、主であるかのように振舞うといった教育官僚独占体系が、結局、教育の民主化と教育改革の足を引っ張り、教育跛行をもたらす矛盾を深刻化させた。
現政権も例外ではない。 政府が発足して3年経ったが、教育政策が里程標を失ったまま一人歩きしており、 国民は困惑させられている。それだけでない。経済論理だけを先行させた無責任な教員の停年短縮、 問題だらけの7次教育課程、大学の序列化を一層固着化させた頭脳韓国(BK)21事業と、大学評価制の実施、 また、教授年俸制および業績評価制の導入、大学学部制の実施など、教育現実にそっぽを向いた政策を実施してきた。
さらに、毎年のように大学入試不正疑惑、教員任命疑惑、教育公務員の汚職など、問題が明るみになるたびに、その原因を取り除き根本的に解決するよりは、いい加減にごまかし、隠すことだけに汲々としてきた。 教育省の名誉が失墜し、教育公務員の意欲が低下するなど、底の知れた弁明で一貫したため、教育省自ら教育跛行をもたらし、さらに別の跛行をもたらすきっかけを提供してきたのだ。どんなに深刻かは「教育省がなくならない限り、望ましい教育など有り得ない」という言葉が、教育界は勿論、国民の間でも話題になった事が物語っている。
しかし「始まりが半ばだ」ということばがあるように、 新たに出発する教育人的資源省は、新しいパラダイムに生まれ変わらなければならない。科学が無限の速度で発達し、世界や文化がめまぐるしく変化している状況下で、20世紀の思考と論理で21世紀の大競争時代の新しい教育ビジョンを提示、設計するのは理にかなっていないためだ。
したがって、今の教育省は自ら換骨奪胎するという姿勢で、自己反省をしなければならない。教育官僚が本来の任務である、教育を支援する体制づくりができるように、教育省を国「調整する一方、認識の大転換が行われなければならない。教育行政に対する、 規制一辺倒の官僚主義的発想を果敢に切り捨て、自主性を最大限保障すべきだ。教育政策づくり、財政確保計画などに実質的な教育専門家を参加させて常に教師と教員団体、父兄団体、学生の意見を助ェ受け入れ、真の教育をともに作っていかなければならない。それは教育現場で教育改革を担当し、遂行する当事者は他ならぬ彼らであるからだ。






