1968年1月19日の夜、京畿道パジュで武装した怪漢(あやしい者)30数人がソウルへの道を埋め尽くして姿を消したとの届け出が軍部隊に届いた。青瓦台(韓国の大統領府)を狙った北朝鮮の124軍部隊事件の予告であった。北朝鮮の南派(韓国側に派遣された)工作部隊との心証を持って彼らの南への浸透経路を追跡していた陸軍防諜隊は半信半疑であった。戦闘装備を所持した彼らの夜間山岳行軍の速度が時速10kmを越えていたためだ。普通、軍装をした軍部隊の夜間行軍の速度は4km内外だ。
→防諜隊長尹必饁(ユン・ピルヨン)准将は当時、ソウルの外郭を守っていた6管区司令官だった金載圭(キム・ジェギュウ)小将にこの速度に合わせて待ち伏せ線を張ってくれることを要請した。しかし、6管区の参謀らは、いくら特殊部隊だとしてもそれは不可能だ、時速10kmにはならないとの判断のもとで作戦を繰り広げた。6管区が待ち伏せ線を張り終った時、南派工作員はもうその地点を通過した後だった。
→124軍部隊事件直後、韓国の陸軍諜報部隊は特殊工作員を北朝鮮に派遣した。彼らはウォンサンに上陸し`相当な作戦'を行なったと知られている。`挑発されれば必ず戒める'ことを実践に移したのだ。その後、第3国で南北軍の諜報部隊の高位参謀が会い「お互い、最高首脳の命を狙う工作は慎む」紳士協定を結んだという。1972年5月以降、李厚洛(イ・フラク)中央情報部長が金日成主席と面談した時、124軍部隊が青瓦台(大統領府)襲撃を試みたことを抗議したのに対し金首席が「冒険主義者を責めた」と公開したことは広く知られている事実だ。
→最初に北へ派遣する工作員を訓練かつ指揮した極秘諜報部(HID)は1948年作られた。それが朴正煕(バク・ジョンヒ)政府以降、陸軍諜報部隊(AIU)と改称された。30kgの軍装をして時速12kmで山岳を走破するとの訓練目標が物語ってくれるように北派工作員は文字通り人間兵器と言えよう。政府は今まで工作員を北朝鮮に送った事実を認めることはできなかった。認めればそれは停戦協定の違反を自認する結果になるためだった。しかし冷戦の残滓が崩れはじめるや、その家族らが補償を要求し、国会議員が実体資料を公開することによって、北派工作員の問題が公論化されるようになった。これこそ一時代を清算する意味を持っていると評価すべきことであろう。
金在洪(キム・ジェホン)論説委員 nieman96@donga.com






