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[社説] 青瓦台よりも国民のための政治を

Posted August. 30, 2000 19:22,   

民主党は昨日、全党大会の競選により最高議員を選出したことに続き、新しい指導部を構成し、金大中(キム・デジュン)大統領政権第2期をリードする役割を果たすことを誓った。これは当然祝福するべきことであり、彼らが繰り広げる新しい政治に期待をかけなければならないが、遺憾にも、今日の政治にそのような兆しはない。

国政が相対的な乱脈に陥り、政治社会的な混沌・混迷は執権党が抱えている問題がもとになっているという批判だけが強い。民主党は新しい出発を誓ったが、多くの国民は冷笑するか無視するかで、ひどい場合は執権党としての政局収拾措置すらろくにできないのに、何が全党大会だという厳しい批判も聞こえている。ハンナラ党が民主党の全党大会の日に、青瓦台に沈黙行進デモをしたのも、このような世論の一部を反映したものだと言えるだろう。

何故なのか。執権与党が政治の中心に立って、堂々と政治を行っていないからだ。することなすことすべて問題が生じ、かえって悪影響だけを及ぼしている。事態の収拾は後回しにしたまま政戦や小さな政治的勝負にだけこだわっているという印象を与えている。

医療ストや経済不安、政府の道徳性問題などで恥をさらしておきながらも、民意を失い、これらを政策に反映しようとする姿は見られない。口では政治改革を主張しながらも、行動では旧時代的な‘即決’方式などを恥ずかしげもなく実行し、間違いを謝罪しろという主張も一蹴した。ついには自ら選挙費用の実査介入疑惑を取り上げたが、これを批判する勢力にむしろ攻撃されるという赤面ものの姿。

国民は16代総選挙以降、民主党が進む方向を決めかね、右往左往しながら改革の意志まで喪失したと思っている。党の運営が実質的な権力を持つ人々によって左右されており、党内民主化とは程遠い。国民よりも青瓦台を見て政治をしているのではないかという指摘も出ている。

全党大会を通して新たなる面貌を整え、新しい出発をしようとする民主党にとって、このような指摘は過酷であるかもしれない。政治とは相手があるものだとしながら、野党を言い訳にするかもしれない。万一そうだとしたら、それこそ短見だ。与党は国と国民に無限の責任を持たなければならず、‘正道’政治によって法と秩序、体制を維持しなければならない責務を背負っているからだ。

民主党は乱れに乱れたこの政局を糸目をほどくために、骨を削る自省の姿を見せなければならない。間違いはきれいに謝罪し、執権側と関連した疑惑は、どんな代償を払ってでも透明にして行くという覚悟なしでは、難局を乗り越えることはできない。自己改革を先行しなくては、改革はあり得ないということを民主党の新指導部は肝に命じるべきだ。