芸術作品に対し、淫乱物であるかどうかを判断することは非常に難しい。人によって正反対の意見もあり得るためである。しかも、淫乱の基準は、時代の状況によって変わるものである。
この点でわいせつ問題を判断する司法府と検察の苦悶を助ェ理解することができる。性の開放化傾向など、社会の変化を受け入れる一方で、公衆道徳と社会倫理を保護しなければならないためである。
しかし最近、淫乱物と関連して裁判所と検察が下した「結論」に国民は非常に困惑させられる。一昨日、ャEル地裁は漫画の「天国の神話」に対し、淫乱性を認める判決を下した。これは、先日、検察がわいせつの是非が問われていた映画の「嘘」を疑いがないとしたことと相反する判決である。両作品に淫乱性があるかどうかの判断は、文化界だけでなく、ホットな話題だった。結果的に、同じ時期に一方に対しては厳重な問責が、 もう一方に対しては寛大な処分が下されたのである。
勿論、両作品はそのジャンルと性格が違う。一方は青少年向けの漫画であり、もう一方は成人向けの映画である。しかし、わいせつという側面から見ると、問題なしの処分が下された「嘘」の場合に対しても批判世論が根強かった。映画に接したかなりの人々がわいせつという反応を示し、国連さえ児童ポルノだと規定づけるくらいだった。
困惑させられるのはこれだけではない。アダルトビデオの場合は、一体わいせつなのか芸術なのか区別しにくいものが多い。露骨にわいせつを狙って製作されたものもある。こうしたものがいかにして映像物等級委員会を通過することができたのか疑わしくなるくらいである。国内法は明確にポルノを禁止している。性に対する認識が変わっただけに一般人が芸術の中の性的阜サを受け入れる範囲が広くなり、これによってわいせつの基準が変わるのは当然なことである。しかし、問題はその隙を狙って芸術を装った淫乱物が至る所で横行しているという点である。
今回の裁判所と検察の行き違う決定は、このような混乱を反映する側面がある。法の基準が一貫性に欠けるほど社会的基準が大きく揺れているのである。これを是正することは簡単ではないが、まず社会的合意を経て現状に合う淫乱物の基準作りをする必要がある。
先進国のように大規模な世論調査を通じて、市民が受け入れられるわいせつの限界はどこまでなのか具体化するのも一つの方法である。映像物等級委員会のような等級を決定する機関も一貫性のある判断を示さなければ副作用を減らすことはできない。これと合わせて、国会を通過しなかった等級外映画館の設置問題も再び推進すべきだ。






