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すべての歴史は勝者の歴史

Posted March. 14, 2023 08:12,   

Updated March. 14, 2023 08:12

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「すべての歴史は勝者の歴史だ」。講演や放送をすると、このような言葉で疑問を呈す人がよくいる。一理ある言葉だ。高麗(コリョ)史は朝鮮王朝で国家事業として編纂した歴史だ。当然、高麗が滅び、朝鮮が建国される必然的な過程を説明しようと努めた。この過程で省略と歪曲も当然発生した。

高麗から朝鮮に移る過程は、それでも静かな方だ。歴史には戦争に敗れ、永遠に消えてしまった国、他国に併合され、言語と文化さえ失った国も多い。時にはそのような国や都市は破壊者の伝承碑から名前を読むことができる。ペルシャは巨大な帝国だったにもかかわらず、ギリシャ・ペルシャ戦争、アレクサンドロス大王の征服戦争について記録をほとんど残していない。私たちはこの巨大帝国の滅亡だけでなく成長過程のほとんどをギリシャの観察者の記録に頼っている。

しかし、だからといって歴史記録、歴史学の存在、説明そのものに懐疑的な態度を取ることは正しくない。歴史学とは、そのような歪曲の向こうにある真実を探す学問である。他の学問はそうではないのか。天文学も勝者の歴史だ。私たちの目に見える星は、私たちの視界に近い星、明るい星、私たちの視界に先に到達して遠くの光を遮る星から始まる。その先にある光を発見し、目に見える世界の向こうの空間を理解するために、天文学者はあらゆる努力を尽くしている。不確実性との戦いは、すべての学問と科学の存在理由だ。

敗者の記録にも歪曲がある。敗北を言い訳し、相手の悪を誇張する。勝者も敗者も歪曲には質がある。ロンメル戦記を読むと、相手の戦力を誤って把握していることが多い。当然のことだ。敵について熟知しているケースはなかなかない。だからこそ、ロンメルの大胆な勝負がすごいのだ。逆に、勝利の快感、敗者の鬱憤にとらわれると、勝てる戦いも負けてしまう。自己合理化のための歴史、精神勝利のための歴史。これが本当に危険な勝者の歴史だ。