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「米国史上最悪の二重スパイ」刑務所で死亡

「米国史上最悪の二重スパイ」刑務所で死亡

Posted June. 07, 2023 09:03,   

Updated June. 07, 2023 09:03

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2001年2月18日(日)早朝、米バージニア州フォックスストーン・パーク。スーツ姿の男性が小川の上の小さな木の橋の下に白いテープが貼られた封筒を隠した。この男性が橋の上に上がり、自分の車に戻ろうとすると、2台のSUV車がその車の前後に立ちはだかった。自動小銃で重武装した米連邦捜査局(FBI)の捜査官たちが「スパイ容疑で逮捕する」と叫んだ。22年間、核戦争対応計画など米国の機密情報を数千件、旧ソ連とロシアに渡した二重スパイ、ロバート・ハンセン元FBI捜査官(79・写真)が捕えられた瞬間だ。

米史上最悪のスパイと呼ばれたハンセン受刑者が6日、刑務所で死亡した。米紙ニューヨーク・タイムズは、「ハンセン受刑者がコロラド州ADXフローレンス連邦刑務所で意識を失った状態で発見され、緊急措置をしても意識が戻らず、死亡が確認された」と伝えた。

シカゴ警察局の会計士を経て1976年にFBI捜査官になったハンセン受刑者は、79年に旧ソ連軍参謀本部情報総局(GRU)から金を受け取って情報を渡し、二重スパイになった。米国に取り込まれた旧ソ連情報員が二重スパイかどうかを確認する仕事をしていた彼は、旧ソ連で活動したロシア国籍の米中央情報局(CIA)要員のリストを渡した。彼らはすべて処刑された。

ワシントンのFBI本部に移ったハンセン受刑者は、核戦争時の米国の戦略と米軍の兵器開発計画はもとより、米情報機関の盗聴ネットワークをはじめ、多くの機密情報を旧ソ連とロシアに渡した。「ラモン・ガルシア」という仮名を使い、姿を現さずに封筒を約束の場所に隠す方式だった。

二重スパイ行為が発覚したのは、ロシアの情報源から、ロシア国家保安委員会(KGB)のスパイリストを確保したFBIがハンセン受刑者が残した封筒の指紋で身元を確認したことによる。

22年間で現金やダイヤモンドなど140万ドル(約18億ウォン)を受け取ったハンセン受刑者は、仮釈放なしの終身刑を宣告され、フローレンス刑務所に収監された。「きれいな地獄」と呼ばれるこの刑務所は、独房のみで構成され、脱獄が不可能な最高のセキュリティの刑務所であり、メキシコの麻薬王「エル・チャポ」、ホアキン・グスマン受刑者、ボストンマラソンのテロリスト、9・11テロリストのような重犯罪者が収監されている。


ワシントン=ムン・ビョンギ特派員 weappon@donga.com