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孔子の音楽

Posted February. 01, 2023 08:46,   

Updated February. 01, 2023 08:46

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自分も間違うことがあると思う心がなければ、大人と呼ばれる人も判断力が鈍る。音楽に対する孔子の態度がそうだった。孔子は楽器を演奏し、歌を楽しみ、歌を作る音楽の匠だった。だが、孔子は自分の好きな音楽にこだわった。

司馬遷の『史記世家』には、孔子がどれほど一方的で独断的だったかがわかるエピソードがある。孔子が51歳の時だ。孔子は魯の宰相だった。隣国の斉は、魯が孔子のように有能な策士がいることに不安を感じたのか、使臣を送って友好を築こうと先手を打った。

両国の君主が会った時、斉はその場を祝う意味で音楽を演奏した。槍と刀と盾を持って太鼓の音に合わせて踊る辺境の舞楽だった。すると孔子が憤った。「両君主が親睦を図る席で、どうして蛮夷の音楽を演奏するのか」。そのため、準備した音楽は途中で終わった。冷ややかな雰囲気になると、斉が宮中音楽を演奏すると言った。今回は、道化師と小人が出てきて芸を披露した。孔子がその様子を見て叫んだ。「諸侯を惑わす者は殺さなければならない。担当官に命じよ」。担当官はその言葉により彼らを殺した。斉の諸侯は自国の道義不足を嘆いて帰った。

孔子の位相を高めた事件だった。しかし、犠牲者の立場で見ると、悲痛なことだった。孔子は舞楽を止め、突然、道化師と小人を殺せと言った。浅はかだから構わないという独善的な思考だった。それは古典音楽だけを重視し、ロックや演歌は音楽でないと言うようなものだった。日々の生活に追われる庶民には音楽は役に立たないという理由で孔子のブルジョア的な音楽観を批判し、非楽すなわち音楽を禁止した墨子はより温かく人間的だった。他者に対する倫理性が音楽にも必要な理由だ。