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韓日「シャトル外交2.0」を模索する時

Posted May. 25, 2026 09:24,   

Updated May. 25, 2026 09:24


4日夕、東京江東区にある大型商業施設「アーバンドック ららぽーと豊洲」を訪れた。開放感のある東京湾と周辺の高層マンションの灯りが調和した夜景が美しい場所だった。

しかし、30年前まではこの場所の風景は違った。日本の三大重工メーカーの一つであるIHI(旧石川島播磨重工業)の造船所があったためだ。超大型商船はもとより、自衛隊艦艇もここで建造された。しかし2000年、護衛艦「あけぼの」の建造を最後に造船所は閉鎖された。

日本は1980年代までは世界の船舶の半数近くを建造する世界最大の造船大国だった。しかし現在は、後発走者だった韓国、中国に後れを取っている。最近、日本経済新聞など日本メディアは、この造船所の話を再び取り上げている。自国造船業の衰退を象徴的に示す痛ましい場所を改めて想起させるのには理由がある。高市早苗首相の就任から半年で、反転ムードが生まれつつあるためだ。

高市政権は先月、閣議を開き、殺傷兵器輸出を原則容認する方針を決めた。第2次世界大戦の敗戦国として殺傷兵器輸出を禁じてきた方針を転換したのだ。日本は憲法改正にも拍車をかけている。憲法に自衛隊を明記しようという議論を超え、今では名称を「国防軍」に変更すべきとの声も強まっている。2022年には安保3文書改定を通じて「反撃能力(敵基地攻撃能力)」保有を制度化し、今年3月には射程1千キロの長距離ミサイルを実戦配備した。事実上、韓半島全域が射程圏に入る。攻撃を受けた場合にのみ限定的に防衛力を行使するという、戦後日本安全保障の根幹だった「専守防衛原則」が事実上形骸化したとの見方も出ている。

日本が敗戦後、経済急成長を背景に再び「軍事大国化」へ向かおうとしているとの懸念は以前から提起されてきた。そうした時、日本は周辺国や国内世論を考慮し、自制的姿勢を示したこともある。1976年、三木武夫内閣が武器輸出を事実上全面禁止し、「防衛費を国民総生産(GNP)の1%以内に抑える」との原則を打ち出したのが代表例だ。しかし、こうした過去の約束自体が、最近の日本ではほとんど語られなくなっている。

高市氏は2月の総選挙で圧勝した。高市氏は当時、「日本を強く、豊かに」とのスローガンを前面に掲げた。物価高などによる生活苦が深刻化する中、日本国内では「強さばかりが目立ち、豊かさはどこへ行ったのか」と政府を批判する声も出ている。ただ、こうした指摘にもかかわらず、高市氏は60%前後の高支持率を維持している。

強い日本は韓国にとっても助けになり得る。北朝鮮、中国、ロシアの軍事的拡張をけん制するための韓米日協力の枠組みに力を与えることができるためだ。しかし、歴史問題などが依然残る状況で、日本の拡張主義を無条件に肯定的に見ることは難しいとの見方もある。

19、20日には慶尚北道安東(キョンサンプクト・アンドン)で韓日首脳会談が開かれた。両国はエネルギー分野などでの協力に合意した。「シャトル外交」が続き、韓日協力が進展する様相だ。「シャトル外交」の起源は、98年の金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相による、いわゆる「金大中—小渕宣言」にさかのぼる。当時、両首脳は「緊密な相互訪問・協議を維持・強化し、定例化する」ことで一致し、実践にも移した。

その「金大中—小渕宣言」は、2年後に30周年を迎える。李在明(イ・ジェミョン)大統領は任期中であり、高市氏も在任している可能性が高い。両首脳が「シャトル外交」の精神を引き継ぐだけでなく、積極的に平和と共存、そして新たな30年を切り開く韓日関係の青写真を描いてみてはどうか。そうなれば、強まる日本を見つめる懸念も和らぐかもしれない。