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天国行きの雪だるま

Posted December. 10, 2022 08:40,   

Updated December. 10, 2022 08:40

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純粋で白くてきれいなものは美しい。ずいぶん前から、多くの人がそう思ってきた。ところが、今日は事情が少し変わっている。韓国社会で、純粋で白くてきれいなのは悲しい。純粋なものは、長くは続かないだろう。白いものは、弱いとけなすだろう。きれいなものは、すぐに汚れるだろう。私たちは純粋な時代を経て、そうでない現在に至っている。だから知っている。あれは美しいが、長続きしないね、消えるだろうね。このように減っていくため、ますます貴重になることを私たちは珍しいと呼ぶ。

絶滅しつつある希少性を守ることは、決してお金にならない。資本主義の論理によれば、やるべきことではない。しかし、誰かがしなければならないなら、その誰かに必ず詩人が入るだろう。詩人とは、もともとそういう人たちだ。資本主義ができるずっと前から存在してきて、お金の論理には全く適応できない古代人たちがまさに詩人だ。

悲しい純粋を守る詩人が、最近世の中にどこにいるのかと聞かれたら、今回、現代文学賞を受賞したファン・ユウォン詩人の名前を書く。一人で寂しく、だが誰も恨まず無垢に、汚れたままきれいなあの雪だるまを見ろと言いたい。退化したようで新しくなったような悲しい雪だるまは、なぜか私たち自身の肖像のように思えたりもする。このような既視感は、この詩を鑑賞する時に得られる小さなおまけになる。