「そのまま山になったとしても、またそれでいいではないか」(趙容弼『キリマンジャロの豹』)
昨秋の夕べに開かれた光復(クァンボク=日本植民地からの独立)80周年記念公演「趙容弼(チョ・ヨンピル、この瞬間を永遠に)」は、「なぜ趙容弼なのか」を鮮烈に示した舞台だった。彼は3時間にわたり30曲近くを持ち前の歌唱力で歌い上げ、世代を超えた感動のステージを届けた。その瞬間にも趙氏は、いくつかのヒット曲に回帰的に安住する過去形ではなく、自らを常に実験の最前線へ押し上げる現在進行形であることを証明した。まだ終わりではないと叫んでいるかのように、永遠の若さの力を静かに語りかけるかのように、彼だけの「偉大な誕生」が繰り広げられていた。
私は以前から、趙氏の歌の原点は「赤トンボ」と「見つからないウグイス」にあると思ってきた。幼年時代への繊細な記憶で構成されたこれらの歌は、失われた世界を探し求める孤独で高く寂しい道であり、現実には不可能な美しさを取り戻そうとする夢への道だった。その夢の頂点に「キリマンジャロの豹」がある。作詞家のヤン・インジャ氏が手掛けたこの曲は、独特の悲壮美と芸術家としての挑戦精神が調和しており、今なお多くの人々に愛されている。
その歌には、山のふもとをうろつくハイエナではなく、山頂高く登り、飢えと寒さの中で死ぬ豹になろうとする一人の男の断固たる孤独と愛の運命が揺れ動いている。たとえ煙のように消え去るとしても炎のように燃え上がること、そしてついにはあの高いキリマンジャロで孤独と手を取り、そのまま山になっていこうとする男の意志は、あるいは趙氏自身のものなのかもしれない。
今なお最も美しく最善の歌唱で歌に真摯に向き合う76歳のアーティストは、自ら「キリマンジャロの豹」のように、山で出会う孤独と握手しながら、そのまま山になっていくのだろう。そうして私たちは、あの高い山頂で、彼が歌う孤独と愛の歌をともに聴き、ともに口ずさむのである。
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