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木洞の春の日、君たちの黄金期

Posted May. 23, 2026 08:35,   

Updated May. 23, 2026 08:35


毎年5月になると、ソウル木洞(モクトン)野球場と新月(シヌォル)野球場では、高校野球前半戦最強校を決める「黄金獅子旗全国高校野球大会兼週末リーグ王中王戦」が開かれる。青龍旗、大統領杯、鳳凰旗へと続く高校野球4大大会の幕開けを告げる春の祭典だ。第80回大会となった今年も、全国57校の高校野球チームが黄金獅子旗の舞台を踏んだ。

10年前、初めて黄金獅子旗を取材した時の第一印象は「戸惑い」だった。後ろ姿だけでも誰か分かるプロ選手の試合とは違い、初めて見る高校生たちの試合を追うには、はるかに高い集中力が必要だったからだ。選手の名前、打順、ポジション、背番号を一致させるだけでも一苦労だった。ようやく顔とポジションに慣れた頃には試合が終わり、慌ただしく選手や監督の取材を終えて戻ると、次の試合はすでに始まっていた。

記者たちの記憶に早く刻まれる選手は、たいてい際立った活躍を見せた選手たちだ。新聞やオンライン記事に一言でも名前とコメントを残せるのは、勝敗を左右する決定的な働きをした選手に限られる。ほとんどの選手は、一言も残せないまま球場を後にする。

だが、名前も姓も知らなくても忘れられない顔がある。到底セーフになりそうにないゴロでも、一塁へヘッドスライディングした誰か。死球を受けながらも、適時打を放ったかのように一塁へ全力疾走した誰か。16強で敗れ、球場の通路で腕に顔を埋めて涙をぬぐっていた誰か。決勝戦で1-10とリードを許したまま9回表を迎えても、声を枯らして応援していたダッグアウトの誰かたち。

トーナメントで明日へ進む道は、今日勝つことしかない。弱いチームほど、毎試合すべてを出し切るしかない。トーナメントは一戦一戦が総力戦だ。今回の決勝でも、両チームともエースが最後までマウンドを守ることはできなかった。忠岩(チュンナム)高は準々決勝、大田(テジョン)高は準決勝の山場を越えるため、エースカードを切らざるを得なかった。

つまり、私たちが黄金獅子旗で見ている試合の大半は、それぞれのチームが持てる力をすべて注ぎ込んだ「最善」だったということだ。砂埃を巻き上げながら走る誰かたちの体は、「全力を尽くす」という観念的な言葉を目の前で形にして見せる。春の日差しの下で繰り広げられる、その誰かたちの身ぶりはまぶしい。大会期間中、配達弁当で昼食を済ませる関係者たちが、出勤のあいさつ代わりに「今日はコールドゲームで終わろう」と言いながらも、実際にコールド負けの危機に直面した選手たちへ「あと1点取れ」と声援を送ってしまう理由でもある。

大田高出身で、ハンファの永久欠番となって引退した鄭珉哲(チョン・ミンチョル)MBC解説委員は、黄金獅子旗決勝を前にした後輩たちへこう語った。

「成功の尺度には優勝もあるが、自分の力をすべて注ぎ込んだなら、それだけでも成功だ。何十年後に振り返っても、あの場所にいたことを誇らしく思うはずだ」

そのうえで、「私自身、高校時代で最も威力ある球を投げていたのが黄金獅子旗だった。当時最強チームだった慶南(キョンナム)商高を相手に先発し、14奪三振を記録した。今でも時々その話をする」と振り返った。

日本のバスケットボール漫画「SLAM DUNK」で、主人公「カン・ベクホ(桜木花道)」が所属する北山高(湘北高校)は、全国大会2回戦で最強チーム「山王工高(山王工業)」と激突する。負傷を抱えながらプレーを続け、倒れ込んだカン・ベクホは、自分をもうプレーさせまいとする老監督に向かって叫ぶ。

「オヤジの栄光時代はいつだよ…韓国代表の時か? オレは今なんだよ!!」

言葉を交わすこともできないままダッグアウトを去っていった数多くの「誰か」たちへ、今さらながら感謝を伝えたい。木洞と新月で過ごした2週間の春、君たちの黄金期を見届けることができて、本当に胸が高鳴ったと。