第1次世界大戦を象徴する言葉が「すべての戦争を終わらせるための戦争」だ。当然ながら戦争は終わらず、次の大戦へ向かう踏み石となっただけだった。紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス大王が世界の半分を征服し、一つの帝国を追求した時の目標も、この言葉だったのかもしれない。だが当然成功はしなかった。彼が死ぬと再び分裂のための戦争が始まった。
一つの国家、文化圏へ統一しようとする戦争が、戦争を終わらせることもある。韓国の歴史における統一王国の時代や、中国の統一王朝、日本の徳川幕府の時代を見ればそうだ。しかし高句麗の例のように強力な王国の形成が隋・唐の侵攻を招くこともあり、隋・唐のように統一で得た自信が侵略戦争へと発展することもある。
無数の試みにもかかわらず、人類はいまだ戦争を終わらせる方法を見つけていない。永遠に見つけられないのかもしれない。これが現実だが、さらに恐ろしい真理がある。経済体制のグローバル化が進む中、局地戦はもはや局地戦ではなくなった。すべての戦争が世界経済と個人の生活に甚大な影響を及ぼす。つまりすべての局地戦が国際戦争、さらには世界大戦へと拡大する危険を内包している。
21世紀の世界が懸念すべき課題は、戦争の防止ではなく戦争の拡散だ。ロシア・ウクライナ戦争は、実質的には国際戦争でありながら、表面上は辛うじて拡大を抑えている状況だった。だが米国とイランの戦争は、国際戦争へ向かってためらうことなく突き進んでいる。悲鳴を上げながら最後の段階で踏みとどまるのか、それとも戦争の目的・大義・正義といった議論を投げ捨て、生存を理由に利己的で極端な行動を選ぶのか。いま世界はチキンゲームのような岐路に立たされている。
解決策はなく、戦争拡大の理由だけが積み重なっていく。まだここで踏みとどまる希望はある。しかし仮に戦争拡大を食い止めることに成功したとしても、世界はこれから大義が力を失い、現実が圧倒する段階へと突入するだろう。
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