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天国が実在するなら、それは図書館だろう

Posted January. 03, 2026 09:53,   

Updated January. 03, 2026 09:53


かつて米サンフランシスコの裏通りをさまよっていたとき、小さな郵便受けにこんな言葉が書かれているのを目にした。

「I have always imagined that Paradise will be a kind of library.」

(私はいつも、天国は一種の図書館のような場所だと思ってきた)

パステル調の、小さくて愛らしい郵便受けにそんな一文が添えられている街。これだけで、もう合格ではないかと思った。

この有名な言葉は、実はホルヘ・ルイス・ボルヘスによるものだ。もちろんボルヘスだけでなく、多くの文学者が、図書館について似たような感想や賛辞を残してきた。

本を愛する人々にとって、図書館は特別な場所だ。おそらく彼らにとって図書館とは、果てしなく続く探究の領域であり、宇宙のように無限の知的蓄積が広がる空間だったのだろう。知的渇望と好奇心に満ちた人々が思い描く天国も、きっとそれに近い姿をしていたに違いない。

だが、異国で「よそ者」として生きてみると、まったく別の意味で、図書館が天国のように感じられることがある。図書館のすべてが、うっかり地上に降りてきた天上のもののように思える瞬間だ。

数年前、縁も知り合いもいない米国のある都市で1年間暮らしたことがある。そのとき、図書館は「自分が属している」と感じられる、ほとんど唯一の場所だった。

いつ訪れても高い天井があり、自然光が差し込む大きな窓があった。整然と並ぶ書架、自由に手に取れる本、柔らかな椅子、広いテーブル。誰でも入り、気兼ねなく過ごすことができた。本だけでなく、DVDやボードゲームも無料で借りられた。英語の無料講座や学習プログラムも多く、一定数の本を借りるとハンバーガーのセット券がもらえる催しまであった。

多くの場所が「何かを与える代わりに対価を求める」のに対し、図書館は「与えながら、さらに与える」と言ってくるような場所だった。

この経験以来、どの土地を旅しても、公共図書館を見かけると通り過ぎられなくなった。見知らぬ旅先の図書館を訪れると、地域や雰囲気は違っても、どの図書館も共通のコード――安全、親しみ、安らぎ、開かれた感じ――を共有する、一つの組織の支部のように思えてくる。

いつ、どのような姿で訪れても、そこには雑誌や新聞、書籍が並ぶ書架があり、カーペットと安楽椅子、子ども用の小さな机といくつかのおもちゃが置かれている。ページをめくる人がいる。扉を開いて本を手に取った瞬間、「安全だ」と感じ、ページを開いた瞬間、「つながっている」という安堵が生まれる。そこがどこであっても、家のようで、故郷のようだ。

旅人として訪れた場所で、この感覚がより強まるだけで、突き詰めれば人は皆、地上を通り過ぎていくよそ者なのかもしれない。町の図書館が、地域の語らいの場や心地よい隠れ家のように感じられるのは、決して偶然ではないのだろう。アラン・ド・ボトンは、人が空港で高揚感を覚える理由を、そこが見知らぬ行き先に満ちた「可能性を呼び起こす空間」だからだと語っている。閉塞感や停滞の感覚に襲われたとき、「別の人生への約束」を与えてくれる場所だからこそ、心臓が高鳴るのだと。

この言葉を借りるなら、私たちが図書館を愛するのは、そこが「詩を呼び起こす空間」だからなのだろう。喧騒を鎮め、戻ってくる家のような場所。噛み合わなかった歯車が整う場所。張りつめた心を下ろし、無防備でいられる場所。そして、夢見ていた無数の可能性の答えが、実はもうそこにあった場所。天国があるとしたら、それはきっと、図書館のようなところだろう。


パク・ソンヒ記者 teller@donga.com