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イラン「抵抗のアイコン」パナヒ監督、「映画制作は誰にも止められない」

イラン「抵抗のアイコン」パナヒ監督、「映画制作は誰にも止められない」

Posted September. 19, 2025 08:41,   

Updated September. 19, 2025 08:41


「昨晩、素晴らしい知らせが届きました」

18日午前、釜山市海雲台区(プサンシ・ヘウンデグ)にある映画の殿堂BIFFヒル。イラン出身のジャファル・パナヒ監督(65)は、釜山国際映画祭(BIFF)が開いた記者懇談会で上機嫌な様子を見せた。自身の新作映画『それはただの事故だった(It was Just an Accident)』が、来年の米アカデミー賞国際長編映画部門にフランス代表作品として正式出品されることが決まったからだ。

パナヒ氏は、映画「サークル」で2002年ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を、映画「タクシー」で2015年ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞。今年5月には『それはただの事故だった』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得し、世界三大映画祭の最高賞を制覇する「トリプルクラウン」を達成した。これはジャン=リュック・ゴダール(フランス)やロバート・アルトマン(米国)らに続く史上5人目で、アジア人としては初、現存する監督では唯一となる快挙だ。

しかし、今回のオスカー出品までの道のりは平坦ではなかったという。パナヒ氏は「イランのような閉鎖的な国では政府の許可がないと出品できない。今回も共同製作国であるフランス経由でようやく実現した」と言い、「こういう問題が生じないよう、世界の映画人が連帯すべきだ」と訴えた。

パナヒ氏は釜山と深い縁がある。1996年に長編デビュー作『白い風船』を携えて第1回BIFFに参加、その後も複数の作品を釜山で上映してきた。今年30回を迎えたBIFFはパナヒ氏に「アジア映画人賞」を授与した。映画祭で先に上映された『それはただの事故だった』は、来月1日に世界初公開として韓国で封切られる予定だ。

物語は、かつて政治犯として投獄されていた整備工バヒードが、ある男性の義足の音を聞き、かつて自分を拷問した情報員だと確信したことから始まる。イラン社会への鋭い批評を続けてきたパナヒ氏にとって、この「抵抗精神」は自身の映画世界の根幹だ。彼は母国で度々出国を禁じられ、17年間にわたり収監され映画制作禁止処分を受けた経験を持つ。過去を振り返りながら、自らを「社会的映画人」と呼ぶ。

「映画を作ることができなかった時、自宅で自分自身を撮影しました。どれだけ『映画を作るな』と言われても、どうにかして作品を作ろうという強い意志がありました。誰もこれを止められないというメッセージを伝えたかった。映画人はいつだって道を見つけるのです」

近年、国内外の映画界ではオンライン動画配信サービス(OTT)などの影響による危機感が広がっている。だがパナヒ氏はこう断じた。

「そんな言い訳は通用しません。困難はあっても、若い世代には非常に多くの技術と可能性が与えられています。映画人は責任感を持って物語を紡ぐ義務があるのです」


釜山=キム・テオン記者 beborn@donga.com