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禹相赫、試練を越えて今日も跳び続ける

Posted July. 24, 2025 09:22,   

Updated July. 24, 2025 09:22


禹相赫(ウ・サンヒョク)は、海外合宿と国際大会出場のため約2ヵ月間欧州に滞在し、13日に帰国した。21日からは忠清北道鎮川(チュンチョンブクト・チンチョン)の選手村でコンディションを上げるための練習に励んでいる。22日の禹とのインタビューは、午前のウエイトトレーニングを終えた後に行われた。朝早くから練習に取り組む理由について、禹は「早い時間から練習すれば勤勉になれる。2019年にスランプを経験して以来、朝型人間になった」と語った。

休みなく続く練習と実戦出場は、禹の日常だ。彼は「昨年パリ五輪が終わった後、『休むことはない』と心に決めた。現役生活の間は自分に余裕を与えるつもりはない。引退したらゆっくり休めばいい」と言う。そのように気持ちを引き締めたのは、五輪の苦い経験があったからだ。

禹はパリ五輪で、韓国陸上界初のトラック&フィールドメダル獲得に挑んだ。韓国陸上史上初の世界室内陸上選手権金メダル(2022年)、世界選手権銀メダル(2022年)、ダイヤモンドリーグ・ファイナル優勝(2023年)など、次々と歴史を塗り替えてきた彼は、五輪を前に髪を剃って全てを懸けて臨んだ。しかし、最も重要な舞台である五輪では、自身のベスト記録(2メートル36)に遠く及ばない2m27に終わった。

禹が日々通う鎮川選手村のトラックとフィジカルトレーニング施設の間には、パリ五輪での自分の姿が写った横断幕が掲げられている。禹は「丸刈りだった頃の写真で、宿舎へ向かう通り道にあるので、見ないわけにはいかない。その横断幕を見るたびに初心を思い出して心を引き締める」と話した。

五輪後、失意の底に沈んだ彼を再び立ち上がらせたのは、コーチのキム・ドギュンさん(46)だった。禹は「当時は『もう全てが終わった』と思った。走高跳を見るのも嫌だった。でもコーチが私の気持ちを察したのか、『来週シレジア(シロンスク・ダイヤモンドリーグ)に出場するから集中しよう』と言ってくれた」と振り返る。

五輪から2週間後に臨んだシロンスク・ダイヤモンドリーグで2m29(4位)を跳んだ禹は、次のローマ大会では2m30を超えて優勝した。キムさんは大会後、禹に「五輪で跳べなかったのは体の問題ではなく、心理的なものだった。心配するな」と声をかけた。禹は「その言葉を聞いてから再び希望の火が灯った」と話した。

禹は「今年いい結果が出ているのは、昨年の五輪直後にダイヤモンドリーグに出場して、自分の競技力を再確認できたおかげ」とし、「もし五輪後に空白期間があったら『再び2m30台を跳べるのか?』と自分を疑い続けていただろう」と語った。

来月6日にドイツへ出国する禹は、シロンスク・ダイヤモンドリーグ、チューリヒ・ダイヤモンドリーグ・ファイナルを経て、9月に東京で開かれる世界選手権で金メダルを狙う。会場は、2021年の東京五輪が開催された東京国立競技場だ。禹は東京五輪で2m35を跳び、「サプライズ4位」として世界的なジャンパーに躍進した。

韓国陸上初の世界選手権金メダルを目指す禹は、「五輪の準備ではやれることは全てやった。今回は過剰な準備よりも『これまで通りでいこう』と思っている。そうすれば結果もついてくるはず」と語った。

「スマイル・ジャンパー」は、今季出場した国際大会7大会すべてで優勝を飾った。12日にモナコで開催された2025年世界陸上連盟ダイヤモンドリーグ男子走高跳では、2m34をクリアし、今季の自己ベストで頂点に立った。今季に世界の男子選手の中で屋外大会で2m34を跳んだのは禹だけだ。

昨年のパリ五輪では2m27にとどまり7位に終わって大粒の涙を流した禹だが、再び世界の頂点を目指している。


任寶美 bom@donga.com