Go to contents

カトリックは「善終」、プロテスタントは「召天」、仏教は「入寂」

カトリックは「善終」、プロテスタントは「召天」、仏教は「入寂」

Posted April. 23, 2025 08:36,   

Updated April. 23, 2025 08:36


ローマ教皇が21日(現地時間)に死去した中、宗教ごとに死去を指す用語が異なる点が目を引く。

カトリックで死を意味する「善終」は、もともと「善生福終」の略語だ。イタリア出身の中国宣教師のロベリが、1652年に北京で刊行した漢文教理書「善生福終正路」に入っている言葉が起源となっている。「善生福終正路」とは、日常生活で教理の教えに従って善良に生き、福を得た死を迎える道という意味だ。

2005年4月にローマ教皇のヨハネ・パウロ2世が死去した際、韓国カトリック教会は大人物がこの世を去る時に一般的に使う「逝去」という表現を検討した。実際、一部のマスコミは逝去を書いたりもしたが、カトリックは最終的に「善終」を選んだ。2009年2月、金寿煥(キム・スファン)枢機卿が死去した時や、2013年に教皇から退いたベネディクト16世が死去した時も、善終を公式に使った。

プロテスタントでは、「神様に呼ばれる」という意味が込められた「召天」という言葉を使う。実際、召天は国語辞典には登録されておらず、正しい用語とは言い難い。しかし、使用して久しいため、プロテスタントの内外からは一般的な表現としてすでに定着している。

仏教では概して「涅槃」や「入寂」を使う。「寂滅」または「圓寂」もよく使われる。いずれも一切の煩悩から脱し、完璧な悟りの境地に入るという意味が込められている。釈迦牟尼と高僧の死を指す時に使う言葉だ。円仏教はこの中で涅槃を主に使う。

民族宗教である天道教は、「本来の位置に戻る」という意味で「還元」という用語を使う。


李鎭求 sys1201@donga.com