尹大統領「銃を撃ってでも国会のドアを壊せ」、これが「警告用戒厳」か
Posted December. 28, 2024 08:43,
Updated December. 28, 2024 08:43
尹大統領「銃を撃ってでも国会のドアを壊せ」、これが「警告用戒厳」か.
December. 28, 2024 08:43.
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3日、緊急戒厳を宣言した当時、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が国会に出動した軍司令官らに、「銃を撃ってでもドアを壊して中に入って引きずり出せ」、「ドアを斧で壊してでも中に入れ」と指示したことが、検察の捜査で明らかになった。尹氏は、国会で戒厳解除要求案が可決された後も、司令官に電話し、「解除されたとしても、私が2回、3回戒厳令を宣言すればいいから、続けて進めろ」と指示した。検察が27日、金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防部長官に対する公訴状で明らかにした内容だ。公訴状には、尹氏が国会封鎖を綿密に計画し、暴力を使ってでも戒厳解除を阻止しようとしたことが具体的に書かれている。尹氏は同日、三清洞(サムチョンドン)安家で会った趙志浩(チョ・ジホ)警察庁長と金峰植(キム・ボンシク)ソウル警察庁長に非常戒厳宣布時の国会統制を指示し、警察は28の機動隊と168台の警察バスを動員して国会への出入りを禁止した。尹氏は趙氏に電話し、「国会に入ろうとする議員をすべて逮捕しろ、布告令違反だ」と指示した。議員たちが本会議場に集まると、李鎮雨(イ・ジンウ)首都防衛司令官に、「4人が1人ずつ担いで出て来させろ」と命令し、郭種根(クァク・ジョングン)特殊戦司令官には、「建物のガラス窓を割ってでも国会本館内に進入せよ」と言った。同日動員された軍と警察は計4749人だった。巨大野党に警告するために「秩序維持に必要な少数の兵力だけを投入した」という尹氏の言葉は合致しない。禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長、最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表、与党「国民の力」の韓東勲(ハン・ドンフン)代表(当時)を逮捕しようとしたことも確認された。金前国防長官の指示を受けた呂寅兄(ヨ・インヒョン)防諜司令官は、「彼らを含む14人を逮捕し、首都防衛司令部のB1バンカーの拘禁施設に移送せよ」と防諜捜査団長に指示した。このため、防諜司令部は警察庁国家捜査本部と国防部調査本部にそれぞれ100人の人員支援を要請したと、検察は明らかにした。また、金前国防長官は、国会で戒厳解除要求案の可決が迫ると、呂氏に「李在明、禹元植、韓東勲の3人から捕まえろ」と指示し、その後、防諜司令部は彼らを逮捕することに集中したという。検察は、「国会を無力化させた後、別の非常立法機構を創設する考えだったことを確認した」と明らかにした。事実上、国会をなくそうとしたのだ。そうしておいてどうして「憲政秩序の崩壊を防ぎ、国家機能を正常化する」ために戒厳を宣布したという話が出てくるのか。また、ノ・サンウォン元情報司令官、ムン・サンホ情報司令官は1日の「ロッテリア会合」当時、すでに戒厳が宣布されることを知っており、中央選挙管理委員会を制圧して電算資料を確保する計画を具体的に立てた。情報司令部は、逮捕・監禁する選管委職員約30人の名簿を事前に作成した。彼らを「縄で縛り、覆面を被せて首都防衛司令部のバンカーに移送せよ」という指示まで下したという。尹氏が今年3月から金前国防長官らに「非常大権」「非常措置」などを数回言及し、11月からは実質的な準備を始めたことも明らかになった。検察は、国会を麻痺させようとしたのは内乱罪の核心要件である「国憲紊乱」に該当し、ソウル汝矣島(ヨウィド)などの平穏を害することで「暴動」の要件も備えているとした。にもかかわらず、尹氏側は「内乱ではなく騒動」とし、高位公職者犯罪捜査処(公捜処)の出頭要請を拒んでいる。もうこれ以上の言い訳は許されない。29日にも公捜処に自ら出頭しなければ、強制捜査を延期する理由はない。
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3日、緊急戒厳を宣言した当時、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が国会に出動した軍司令官らに、「銃を撃ってでもドアを壊して中に入って引きずり出せ」、「ドアを斧で壊してでも中に入れ」と指示したことが、検察の捜査で明らかになった。尹氏は、国会で戒厳解除要求案が可決された後も、司令官に電話し、「解除されたとしても、私が2回、3回戒厳令を宣言すればいいから、続けて進めろ」と指示した。検察が27日、金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防部長官に対する公訴状で明らかにした内容だ。
公訴状には、尹氏が国会封鎖を綿密に計画し、暴力を使ってでも戒厳解除を阻止しようとしたことが具体的に書かれている。尹氏は同日、三清洞(サムチョンドン)安家で会った趙志浩(チョ・ジホ)警察庁長と金峰植(キム・ボンシク)ソウル警察庁長に非常戒厳宣布時の国会統制を指示し、警察は28の機動隊と168台の警察バスを動員して国会への出入りを禁止した。尹氏は趙氏に電話し、「国会に入ろうとする議員をすべて逮捕しろ、布告令違反だ」と指示した。
議員たちが本会議場に集まると、李鎮雨(イ・ジンウ)首都防衛司令官に、「4人が1人ずつ担いで出て来させろ」と命令し、郭種根(クァク・ジョングン)特殊戦司令官には、「建物のガラス窓を割ってでも国会本館内に進入せよ」と言った。同日動員された軍と警察は計4749人だった。巨大野党に警告するために「秩序維持に必要な少数の兵力だけを投入した」という尹氏の言葉は合致しない。
禹元植(ウ・ウォンシク)国会議長、最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表、与党「国民の力」の韓東勲(ハン・ドンフン)代表(当時)を逮捕しようとしたことも確認された。金前国防長官の指示を受けた呂寅兄(ヨ・インヒョン)防諜司令官は、「彼らを含む14人を逮捕し、首都防衛司令部のB1バンカーの拘禁施設に移送せよ」と防諜捜査団長に指示した。このため、防諜司令部は警察庁国家捜査本部と国防部調査本部にそれぞれ100人の人員支援を要請したと、検察は明らかにした。
また、金前国防長官は、国会で戒厳解除要求案の可決が迫ると、呂氏に「李在明、禹元植、韓東勲の3人から捕まえろ」と指示し、その後、防諜司令部は彼らを逮捕することに集中したという。検察は、「国会を無力化させた後、別の非常立法機構を創設する考えだったことを確認した」と明らかにした。事実上、国会をなくそうとしたのだ。そうしておいてどうして「憲政秩序の崩壊を防ぎ、国家機能を正常化する」ために戒厳を宣布したという話が出てくるのか。
また、ノ・サンウォン元情報司令官、ムン・サンホ情報司令官は1日の「ロッテリア会合」当時、すでに戒厳が宣布されることを知っており、中央選挙管理委員会を制圧して電算資料を確保する計画を具体的に立てた。情報司令部は、逮捕・監禁する選管委職員約30人の名簿を事前に作成した。彼らを「縄で縛り、覆面を被せて首都防衛司令部のバンカーに移送せよ」という指示まで下したという。尹氏が今年3月から金前国防長官らに「非常大権」「非常措置」などを数回言及し、11月からは実質的な準備を始めたことも明らかになった。
検察は、国会を麻痺させようとしたのは内乱罪の核心要件である「国憲紊乱」に該当し、ソウル汝矣島(ヨウィド)などの平穏を害することで「暴動」の要件も備えているとした。にもかかわらず、尹氏側は「内乱ではなく騒動」とし、高位公職者犯罪捜査処(公捜処)の出頭要請を拒んでいる。もうこれ以上の言い訳は許されない。29日にも公捜処に自ら出頭しなければ、強制捜査を延期する理由はない。
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