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「真っ白な楽譜の前でいつも辛かった」 天国の旋律を書き起こした映画音楽の巨匠

「真っ白な楽譜の前でいつも辛かった」 天国の旋律を書き起こした映画音楽の巨匠

Posted July. 04, 2023 08:25,   

Updated July. 04, 2023 08:25

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暗い部屋の中で白髪の老人が何も書かれていない楽譜の前に座っている。額に手を当てた老人は片手に持っていた鉛筆で慎重に音符を書き起こし始める。ピアノもギターもない。机に座ってひたすら頭の中に流れるメロディーをひたすら紙に移す。音符をにらみつけると思いきや、突然宙に手を振ったり、床に横になって運動をしながら考え込むこともある。周辺の人々は老人に対して「音楽以外は眼中にない、いつも異次元の世界に行っている奇異な天才だった」と評価する。

映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ(1928~2020)の人生を描いたドキュメンタリー「エンニオ:ザ・マエストロ」が5日公開される。映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984年)、「ミッション」(1986年)、「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)など、耳を虜にする音楽として記憶される映画には、いつもモリコーネがいた。ドキュメンタリーは「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督(67)がメガホンを取った。2人は「ニュー・シネマ・パラダイス」で初めて関係を結んだ後、一生の同僚であり友人として交流した。

映画はモリコーネの肉声で、彼の若い時から栄光の瞬間までの長い道のりを振り返る。1928年にイタリア・ローマで生まれたモリコーネは、トランペット奏者だった父親のもとで育った。医者になりたかったが、お金を稼ぐためにトランペットを吹いた。モリコーネは、「生計を立てるためにトランペットを演奏するのは屈辱的だった」と振り返る。しかし、溢れる才能が彼を新しい世界に案内してくれた。その天才性を見抜いた師匠ゴッフレード・パトラッシ(1904~03)に会って作曲の世界に足を踏み入れることになった。

しかし、就職が容易ではなかった。サンタ・チェチーリア国立音楽院を卒業した氏は、レコード会社に就職して大衆音楽の編曲を始める。1961年、ルチアーノ・サルチェ監督(1922~1989)の「ファシスト」で初めて映画音楽を手掛け、「荒野の用心棒」(1964年)で名を馳せた。口笛を絶妙に使ったテーマ曲が当時強烈な印象を残した。

編曲で仕事を始めて映画音楽に移った氏は、長い間正統派クラシック音楽の作曲家ではないということから、低く評価されることもあった。米アカデミー賞授賞式では5回も音楽賞にノミネートされたが、受賞はならなかった。結局、2016年に88歳で6回の挑戦の末にトロフィーを手にした氏は、表彰台で静かに涙を流した。

映画に登場する人々は、モリコーネが「楽曲をいとも簡単に書き起こした」と口をそろえる。しかし、ドキュメンタリーの終盤に巨匠は遠くを見つめながら語る。「作曲を始める時は、真っ白な楽譜の前でいつも辛かった。何を見つけなければならないのか分からなかったが、前に進まなければならなかった」


崔智善 aurinko@donga.com