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戦友と一緒に葬られた「白馬高地英雄」、70年ぶりに遺族のもとへ

戦友と一緒に葬られた「白馬高地英雄」、70年ぶりに遺族のもとへ

Posted December. 01, 2022 08:48,   

Updated December. 01, 2022 08:48

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戦友と同じ塹壕で戦死し、70年間一緒に埋葬されていた韓国戦争参戦勇士の身元が確認された。国防部の遺骨発掘鑑識団は30日、今年7月に江原道鉄原(カンウォンド・チョルウォン)の白馬(ペクマ)高地で発掘された遺体の身元がキム・ヨンイル二等中佐(現在の階級では兵長)であることをと確認したと発表した。故人の遺体は11月21日、身元が確認済みのピョン・グィマン下士と同じ塹壕に70年間一緒にいたが発掘された。発掘当時、二人の兵士の遺体は並んで置かれ、周辺からはM1小銃などの遺品91点が出た。

キム氏の遺体は塹壕からうずくまった姿勢で胸の部分に腕を合わせた姿の完全な形で発見された。頭骨の上に鉄帽、足骨には戦闘靴の靴底があり、脛骨にはゴムリングがぶら下がっていた。遺体発掘鑑識団は、胸に集まった前腕骨の内側から故人の氏名が鮮明に刻まれた認識票が発見されたことから身元を特定し、実孫の遺伝子と比較して家族関係を確認した。これに先立ってピョン氏の遺体も頭と胸を前に下げたまま足を曲げて座っている姿で発掘された。一緒に発見された万年筆に刻まれたピョン氏の名前が識別され、身元が特定された。

キム氏とピョン氏は国軍第9師団第30連隊所属で、1952年10月6日から15日まで続いた白馬高地戦闘に参戦した。当時、第9師団と中国共産軍が7回も高地を奪い合う激戦が行われ、韓国戦争で最も熾烈な戦闘を繰り広げられたが、第9師団は12回の攻防戦の末に高地確保に成功したが、二人はこの戦闘で戦死した。

キム氏は忠清北道槐山(チュンチョンブクド・クェサン)で6男6女の長男として生まれた。近くの村に住んでいた配偶者と結婚し、1男1女をもうけた。末娘の出生から1ヵ月後の1952年3月、陸軍に入隊した。実孫のキム・ジョンドク氏は「父親が3歳の時に祖父が入隊したので父親も記憶にはなかったが、とっても祖父に会いたがっていた。孫の私が長男としての役割を果たすことができて嬉しい」と話した。キム氏の身元確認を通知する「護国の英雄帰還行事」は同日、京畿道富川市にある遺族の自宅で行われた。韓国戦争戦死者遺骨発掘事業は2000年4月に始まり、今まで戦死者201人の身元を確認した。


申圭鎭 newjin@donga.com