フランスの博物学者ジャン・アンリ・ファーブルは、薄明の時間、すなわち日の出および日の入りの境となる神秘的な時間帯を研究し、これを「ブルーアワー(The Blue Hour)」と名付けた。この時間帯の空が濃い青色に染まることから付けられた名前だ。この魅惑的なブルーの時間は、多くの芸術家にインスピレーションを与えた。
ペーダー・セヴェリン・クロイヤーも「ブルーアワー」を愛した画家だった。特に日が沈む時のやわらかい光を捉えた絵を多く描いたが、42歳の時に描いた「スケーエン南海岸の夏の夕べ」が代表作だ。スケーエンは、デンマーク最北端にある静かな漁業の町。19世紀末、若い画家がここに集まって芸術コミュニティをつくって暮らしていた。彼らを「スケーエン派」と呼ぶ。ノルウェー出身のクロイヤーがここに定着したのは1891年。パリで活動してすでに名声を得ていたクロイヤーは、すぐに芸術コミュニティのリーダーになった。印象主義を標榜したスケーエン派の画家たちは、しばしば互いを絵のモデルにした。この絵の中の2人の女性もスケーエン派の画家だ。左の女性はアンナ・アンカーで、帽子をかぶった右の女性は妻のマリー・クロイヤー。クロイヤーより16歳年下のマリーは、パリに留学までしたが、夫の才能に気圧されて創作活動をしていなかった。その代わりに夫のミューズとなって描かれた。
画家が最も精魂を込めたのはブルーアワーの表現。日が沈む頃、青い空と海には境がなく、一つになったように見える。白い砂を照らすほのかな光と意図的に小さく描いた人物によってスケーエンの浜辺はより神秘的で静かに見える。
クロイヤーは静寂で完璧なブルーアワーを捉えて描くことに卓越したが、人生はそれほど平穏ではなかった。50歳を前にして体調を崩すと、精神疾患を患い、ますます乱暴になった。妻も離れてしまい、晩年には失明する。黄昏の後に闇が訪れることが道理であることを証明するかのように、クロイヤーの人生の中の恍惚としたブルーアワーはほんのわずかの時間だった。