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君を思うことが僕の一生だった

Posted March. 05, 2022 08:26,   

Updated March. 05, 2022 08:26

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最初は、この詩は強烈ではない。「言語の彫琢」といって、詩は磨き上げる作業を重視するが、この詩の彫琢はユニークでない。語調も強くない。事もなく始めて淡々と終わる。だからといって、単語の選別が特別なわけでもない。君や僕、砂粒、草の葉。ここに私たちが知らない単語は一つもない。しかし読んだ後は、状況が変わる。よくある単語を使っただけなのに、詩が残す響きは強い。なぜなら、この詩は一生そのものををかけて出てきたからだ。一生の重みほど重いものはない

われわれは、「自分は大切だ」と学び、実際に自分は大切だ。どれほど大事なのか、他のものの大切さを忘れるほどだ。現代社会の多くの本は、「自分一人で大切になるために努力せよ」と忠告する。「私は大事だ」という言葉を「私のみ大事だ」に変えるには、助詞一つ分の手間さえあればいい。しかし、この違いは非常に大きい。言い換えれば、チョン・チェボン詩人は、現代の主流とは異なる話をしているのだ。君は僕の人生という言葉は、私を無くすというのではない。一緒に作るという話だ。

詩人がこの世を去って20年が過ぎ、彼はもういない。しかし、チョン・チェボンの心はあちこちにある。新学期を迎えて、子供たちはたくましく学校に行った。春が来る前から春だった子供たちを、保護者たちはこのような目線で眺めているだろう。