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朝鮮初のカメラマンは誰?

Posted December. 25, 2021 08:24,   

Updated December. 25, 2021 08:24

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「私の姿が映し出された。小さな彫刻だった。羅斯紙の上に真の姿が完全に打ち込まれていた」

朝鮮使節団が清を訪れた際、随行員だった末端の官吏、李恒億(イ・ハンオク)が書いた文だ。李恒億は陰暦1863年1月29日、北京駐在の俄羅斯館(ロシア公使館)で新しい文物である写真を初めて目にした。ロシアの写真家は彼らを被写体に写真を撮った。数日後に出来上がった写真を見た李恒億は、これを「小さい彫刻」と表現して驚いた当時の感情を『燕行日記』に記録した。

同書は、明知(ミョンジ)大学記録情報科学専門大学院教授で韓国イメージ言語研究所所長の著者が30年近く韓国写真の歴史を研究した結果を集大成した本だ。約100年の韓国写真史が1冊に盛り込まれた。

著者によると、西洋では1840年代から写真が実用化されたが、朝鮮は1863年に写真に初めて接した。李恒億のように観光客の立場で目にした程度だった。1883年、政府官吏を務めた金鏞元(キム・ヨンウォン)が朝鮮に初めて写真館を作ったのを機に写真館が生じ始めた。韓国人が韓国の地で写真を撮る真の意味の韓国写真史が始まったのだ。

著者は、朝鮮の写真導入の過程、日帝が植民地支配を正当化するのに写真を悪用した歴史なども含めた。芸術写真の作家群が初めて登場した1920年代後半の話や、社会主義リアリズム写真とサロン写真に二分され、左翼と右翼が対立した「光復(日本の植民地支配からの解放)」直後の話など、ややもすると難しくなる写真史を昔話しのように簡単に解きほどいた。

1934年から東亜(トンア)日報の写真部長を務め、同紙の「日章旗抹消事件」を主導した韓国写真学の先駆者、申楽均(シン・ナクキュン)先生から、1980年代から死に対する哲学的解釈を表現するなど実験的で破格の試みを絶えず示してきた写真家、具本昌(ク・ボンチャン)など現代写真家に至るまで、韓国写真史の主要人物も総網羅して紹介する。

1863年に撮影された朝鮮使節団の固い表情の人物写真から無限の形式の現代写真まで写真約300点が含まれた。そのため600ページに近い大著だが、写真展を見る軽い気持ちで読むことができる。


孫孝珠 hjson@donga.com