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帰り道

Posted December. 04, 2021 08:57,   

Updated December. 04, 2021 08:57

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SF映画にはエイリアンも出てきて宇宙船も出てくるので、荒唐無稽なフィクションと思うかもしれない。しかし、SFの妙味は「君が何を想像しようと、それ以上を見ることになるだろう」といった、想像力にあるのではない。このジャンルの本質は、人間の外側の目で人間を見ろという命題にある。人ではない者の目に写った人はどうか、あるいはどのようにあるべきか。これを探索するのがSFだ。

冷たいAIと人造人間の間では熱い人間が懐かしくなる。そのような心情で、人は寒い冬の日を迎え、温かいものを懐かしむ。世の中に非情なことは次第に増え、温みを得る窓口が減っていくのでなおさらだ。世の中も寒く、人も寒く、天候も寒い時、目は自然に温もりに向かう。そのため、この詩を紹介することになった。短いが、申し分なく温かい詩。近頃にぴったりな作品だ。

最初の文章は省略記号で始まる。少しためらっているということだ。ほかに話すこともあったが、省いたということだ。誰かが「寒いが、私たちはもう…」と言う場合、その次にはどのような言葉が来るだろうか。私たちが一緒に作ることができる、寒くないことが出てくることになっている。詩人は、それを野菜を売るおばさんから1束の野菜を買うことだと話す。野菜の行商はあの野菜をみな売ってこそ今日の商売を終えるだろう。だから買うのだ。私は今家に帰るので、あなたもはやく温かい家に帰ろうと。ねぎ1束いくらですか。実際は、このような質問だっただろうが、詩人は表現を詩的に変えた。希望1束いくらですか、と。冬の1コマ、温かくなることはこのように容易だ。容易なことをすることがこのように難しい。