
ペルシャ帝国の建設者はキュロス2世。全盛期を導いた王はダレイオス1世だ。ギリシャを侵攻してサラミスの海戦で敗れたクセルクセス1世はダレイオスの息子でありキュロスの外孫だ。ペルシャ帝国史では最も偉大で完璧な黄金の血統だった。
クセルクセスのギリシャ侵攻を扱った映画「300 スリーハンドレッド」で、クセルクセスをカルト的な奇怪な姿で描いたため、これまで議論を呼んでいるが、服装もそうでなかったし、容貌も血統に相応しく背も高くハンサムな君主だった。ではマナーはどうだったか。クセルクセスはマナーの良い君主だった。
臣下が自分の考えと異なる意見を提示する時も、臣下の諌言や忠告をしりぞける時も、怒ったり侮辱したりしなかった。立派な意見だと敬意を表わし、たとえ提案を断っても、立派な友人であり、心から良い意見を提示したことを記憶するよう指示する人だった。リーダーシップでこのような配慮は重要だ。権力者の前にいる人々は、権力者が誰の意見、どんな意見を好むのか注視する。少し経てば、皆が君主の好みに合わせて同じ声を出し始める。これで終わりではない。提案を拒絶された臣下はいじめられ、罵倒され、ひどい場合は「あいつは王に憎まれた」とターゲットにされ、謀略にかかる。
こうして偉大だった帝王は、おべっか使い、馬鹿に囲まれたみすぼらしい君主になって行く。クセルクセスは、少なくともこのような点では問題はなかった。しかし、決定的な短所があった。良いマナーにもかかわらず、ギリシャ侵攻の時、常に誤った戦略を選んだ。
マナーも重要だが、戦争の勝負を分けるのは指導者の正しい決定だ。マナーも開かれた言論も正しい決定を選択する可能性を高めるための美徳である。多くのリーダーがこれを勘違いする。容貌とマナーいずれも完璧だったクセルクセスは、臣下に追放され、殺害された。