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記録が歴史の勝者を作る

Posted November. 02, 2021 08:27,   

Updated November. 02, 2021 08:27

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すべての歴史は勝者の歴史という言葉をよく聞く。完全に正しい言葉ではないが、その意味は蓋然性がある。戦争史でのほとんどの記録は勝者側の記録だからだ。にもかかわらず、その言葉は間違っていると言うこともできる。実際、勝者の記録とは、勝者と、勝利の基準が何かによって変わる。そのため、このような言葉が生まれた。記録を残した者が歴史の勝者となる。

過去に歴史学ではこのような傾向があったが、記録がないからと無条件に否定することは誤った方法だ。例えば、旧石器人が石器だけを使っただろうか。否。木の道具も使ったことだろう。洞窟ではなく木と革を利用して野地でテントを張って生活したかも知れない。しかし、木や革は腐って跡形もなくなる。一時は証拠がないという理由で、このような事実を認めなかった時代もあった。「証拠主義」の誤用だ。

私も旧石器時代の人々が木とテントを使っていたと信じる。そして、この程度は歴史の本に叙述しても構わないと考える。しかし、「このような形の木の道具を使っただろう、木刀を削って戦争をしただろう」と叙述するのなら、それは度を越えたことだ。心証があるとしても、証拠なくそのようなことを言ってはいけない。それゆえ記録が重要だ。戦争史ではなおさらだ。昨日90歳を越えた韓国戦争に参戦した勇士に会った。機関銃の射手だったという。それほど昔でもなく20世紀半ばに起こった韓国戦争、その人の証言を広範囲かつ詳細に専門的に収録されるべきだったが、その作業は行われなかった。

こういう話をすれば、そういったことはかなりしたという返事が帰ってくる。確かにそうだ。しかし十分でなかった。遅くても1990年代にこの作業を始めるべきだった。今になってこんな話をするのも遅い。90年代に私は個人的に余力がなく、助けを求める能力もなかった。今このようなことを言うのは、韓国社会が記録に対する投資の価値を知ることを願うからだ。

歴史学者