永遠に別れることのない仲であることを約束してもらう気持ちで、話者は動けない自然の摂理を挙げては祈り、また祈願する。山や川が崩れ落ちたり、鉄の塊が水の上に浮かんだり、あるいは太陽と星が昼夜を変えて現れるなど、天地開闢が起きるまでは離れまいとする切実な願いである。このような切実さ気持ちを歌った理由は何だろうか。万古不易の真理のように、私たちの愛情も永遠に続くことを信じたい心情だったのだろう。この時、愛は山川や天体に比べられるほど、高貴で絶大的だ。一方、この唱を通じて、いつ別れるか分からない漠然とした不安を吐露したものなのかも知れない。切々と不変の愛を祈願するということは、愛情戦線の危機がそれだけ緊迫していることの反証でもある。この唱は主動的に愛情を導いていく話者の力が遺憾なく表れているようでもあり、逆に相手の変心を恐れて戦々恐々としている切なさがにじみ出ているようでもある。民衆はこの2つの姿の恋唄をそれぞれの事情と好みに合わせて愛唱したのだろう。
「菩薩蠻」は後代に発展した詞の曲名。題名をつける代わりに、通常最初の句をタイトルにする。言いまわさないで感情を大胆に表現した民衆の唱の真率さが際立つ。1900年に敦煌の石窟で唐以降にこうした民間の詞が大量に発掘された。