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故郷を尋ねられたら

Posted April. 02, 2021 07:40,   

Updated April. 02, 2021 07:40

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古堂(コダン)曺晩植(チョ・マンシク)先生が「故郷を尋ねるな」という標語を掲げ、地域感情の打破を主張した。故郷を尋ねることは、その人に対する関心であり、親近感ではあるが、それによって先入観を持つ人も多く、逆効果が大きいということだ。最近、世界的に問題になっている人種差別も同じ脈絡のようで心が痛い。故郷が違い、人種が違うことがどうしたというのか。結局、同様に地区ごとに暮らして去るのだから。

先日、友人たちとの酒の席で、故郷をめぐって言い争いが起こった。皆ソウルで知り会った同年齢の友人で、故郷も違った。話が盛り上がると、普段から故郷を尋ねることが好きな友人が隣の友人に聞いた。「お前は全州(チョンジュ)で生まれたのか」、「全州で生まれたが、2歳の時に父親の仕事のために忠清南道扶余(チュンチョンナムド・プヨ)に引っ越し、そこで6年生まで暮らし、中学生の時にまた全州に来た」、「じゃ、全州は故郷じゃないね。全州より扶余で長く暮らしたじゃないか」、「でも全州で生まれ、中学、高校を全州で通ったから故郷は全州だ」、「大学は?」、「大学はソウルで通い、軍隊を除隊してから今までソウルで暮らしている」、「じゃ、ソウルで暮らした期間がもっと長い。それなのに故郷を全州だと言ったの?」、「幼い頃に暮らした所だから故郷と言ったんだ。そういうお前は?」

すると隣にいた友人が、「俺は忠清北道報恩(チュンチョンプクト・ポウン)で暮らしたが、故郷にダムができて水没地区になったので、7歳の時に大田(テジョン)に引っ越した。大田で学校を卒業し、今はソウルで暮らしている」、「お前はなぜ毎日故郷が大田だと言うのか。報恩なのに」、「大田で長く暮らしたから大田が故郷だ」、「長く暮らしたことで言うと、ソウルでもっと長く暮らしたんじゃないのか」、「長く暮らしたのはソウルだけど、故郷は大田だ!」

実際、私も忠清北道忠州(チュンジュ)で生まれ、学校を卒業したが、両親が亡くなった後は故郷にあまり行かない。それでも故郷は忠州だと考えているが、ソウル生活が長くなってみると、最近は故郷に対する興味があまりないのが事実だ。以前は、故郷に行けば高速道路の忠州料金所を出てから、なぜか胸がジーンとし、りんごの木の街路樹の道を過ぎると、母親の懐に抱かれたように安らかな気持ちになった。最近は、故郷も変わり、学生時代によく行ったトッポッキ店や中華料理店もなくなり、郷愁を感じる場所があまりない。そのため故郷に行く時より故郷からソウルに来る時、何か媒煙の臭いがし、適度に曇っているソウルの空を見て、安心する。やはり、寄り添って暮らせば家族で、情が移れば故郷なのか。

解釈が錯綜するだろうが、心の奥深くで大切にした、懐かしく馴染みのある場所が故郷なのだと思う。生まれた場所ではなく、懐かしく馴染みのある場所を尋ねるなら、地域感情よりも思い出が先に浮かぶのだから。今日は、ソウルに初めて来た時に自炊した新月洞(シンウォルトン)の坂道が思い出される。知り合いが1人もいなかったが、3年間暮らしていると、行きつけの飲食店もでき、馴染みの書店もでき、世話になり、慰めになった所、新月洞のガソリンスタンド前の街並み。