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「ストックホルム症候群」パトリシア誘拐事件の転末

「ストックホルム症候群」パトリシア誘拐事件の転末

Posted March. 06, 2021 08:14,   

Updated March. 06, 2021 08:14

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1974年2月4日、メディア財閥ハースト家の相続者パトリシア・ハーストが、左翼過激派のSLAに誘拐される。2ヵ月後、パトリシアは「タニア」と名乗り、SLAの一員として銀行を襲撃する。パトリシアは、SLAのメンバーであることを宣言し、武装して写真を撮ったりもした。

FBIがSLAのアジトを急襲した後、逃亡して1年4ヵ月後に逮捕され、銀行襲撃とテロの容疑で法廷に立ったパトリシアは、衝撃的な発言で全米を騒然とさせる。「すべてのことはSLAに洗脳されてした行動なので」自分は無罪というのだ。パトリシアのケースは、人質が洗脳や生存本能によって人質犯や攻撃者に同調する症状や現象を称する「ストックホルム症候群」の代表的な事例として広く知られている。

この小説は、パトリシアの転向がSLAによる洗脳なのか自由意志の結果なのかに対する著者の疑問から始まった。著者は、パトリシアの犯罪行為がSLAによって洗脳された結果として無罪を主張する弁護団に雇われ、彼らの論理を裏付ける報告書を作成する米国人教授のジン・ネベヴァとフランス人のヴィオレーヌという仮想人物を登場させる。パトリシアが残した音声メッセージや写真、当時のメディア報道などを総合して、2人はパトリシアの変化の背後に隠された力を追跡する。

「10代の女性相続者が自分の意志で、それも2ヵ月足らずの間に革命家に変身するということは不可能」というのが、ネベヴァの最初の考えだった。話は、ネベヴァとヴィオレーヌがパトリシアの選択が洗脳でも悪魔化でもなく彼女の自由意志という結論を下す過程を追う。1704年に原住民から攻撃を受けて人質になった白人女性の一部が、「どうか家に連れていかないで」と人質に残ることを望んだ事例は、彼らが注目した根拠の一つだ。原住民と過ごす間に「家庭と聖書にしばられて生き、誰にも意見を聞いてもらえなかった被造物」から抜け出し、野営地で見張り番をし、森で木を拾い、自由と責任を経験したことで、自分の意志で人質になることを選んだということだ。

ネベヴァとヴィオレーヌがパトリシア・ハースト誘拐事件の全貌を覆す解釈をする過程を通じて、女性が保護の主体や柔順な子どもではなく、自分自身として声を出すことができる存在であることを強調する著者のメッセージを感じることができるだろう。


金哉希 jetti@donga.com