Go to contents

文時代の遺物政治、旧時代の「国民の力」

文時代の遺物政治、旧時代の「国民の力」

Posted February. 08, 2021 08:11,   

Updated February. 08, 2021 08:11

한국어

「捨てるべき旧時代の遺物のような政治」

文在寅(ムン・ジェイン)大統領が1日、野党「国民の力」の対北朝鮮原発疑惑の提起を非難して使った表現だ。さらに「対立を煽って政治を後退させないことを願う」と述べた。野党の疑惑提起を過去の保守政権の「北風工作」と暗にほのめかしたのだ。

それから4日後、与党は憲政史上初めて裁判官の弾劾訴追を強行して可決した。1審で無罪が出た事件を理由に、退任が確定して憲法裁判所で「却下」の決定が確実視される裁判官を「初の弾劾訴追判事」にしようとした。弾劾の実効性を離れ、退職する判事もゆっくり家に帰さないという執拗さを表わしたのだ。司法府を手なずけるという意図だろうが、人間に対して実に残忍という思いは拭えない。

このようなことが多数の議席の力で強行される。野党総裁を除名して法案を強行採決した旧時代の政治とどこが違うのか。旧時代でも、大法院長でも最高裁判事でもない一般の裁判官に対する弾劾発議はなかった。そのような政権のトップが旧時代の遺物政治云々する資格があるのだろうか。

政治報復でも文政権は旧時代よりも一歩出た。執権するやいなや積弊清算という名前で底引き網式に政敵・反対勢力の粛清に出た。まだ2人の大統領経験者が監獄にいる。旧時代の地域感情より恐ろしい「陣営感情」を助長し、全国が理念、貧富、世代、労使に分かれて戦うようにするのはどうか。

旧時代に北風があったなら、「文時代」には「日風」がある。「親日派」、「土着倭寇」のフレームをかぶせて批判勢力を締めつけ、少し静かになったと思ったところ、選挙が迫ったので、野党の韓日海底トンネル公約を取り上げて振り回す。いったい「対立を煽って政治を後退させた」人は誰なのか。この政権に「進歩」を口にする資格はない。

それでも旧時代は経済が良かった。裁判官の弾劾訴追を通過させた日に25回目の不動産政策を押しこむほど、文政府は各種経済政策に失敗し、蔵をからにした。政権核心部の偽善と「ネロナンブル(自分がやればロマンス、他人がやれば不倫)」、幽体離脱話法で、常識と法治、価値観と言葉まで破壊することは旧時代にはなかった「ボーナス」だ。

 

問題は、無気力で実利だけを得ようとする野党まで旧時代から抜け出せていないという点だ。私は今もよく分からない。野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)代表はなぜ政治に飛び込んだのか、なぜあのように譲歩して「撤収」したのか、なぜ再び復帰して政治をしようとするのか・・・。最近、良くなったように見えるが、体に合わない政治を「ファッション」で始めて生活になってしまったのではないのか。

そのような安氏が、今ソウル市長選の野党候補支持率1位だ。厳しく言えば、安氏が良いからというよりも「国民の力」が嫌いだからだ。「国民の力」が「ただ嫌い」という中道指向の有権者が多い。確かな理由があって嫌いというよりもただ嫌いというのは最も恐ろしいことだ。政権を奪われても生涯やっていけるような既得権のイメージから抜け出せない保守野党の報いだ。

それゆえ、政権交代に向けて中原で支持勢力を広げるという「国民の力」の金鍾仁(キム・ジョンイン)非常対策委員長の戦略は正しい。複雑な事案を一刀のもとに整理する政務感覚も良い。だからといって他の政治家を「若造」扱いするような上からの話法は、「国民の力」にさらなる非好感を呼び起こす。仕方のない選択だったとしても80歳の金氏が「国民の力」を率いるということ自体が保守野党の遅滞現象を象徴する。

そうであればあるほど、金氏は政治の新人と若い政治家を育てることに邁進しなければならない。「国民の力」の非好感のイメージを変えるには、人を変えることだけではいけない。近くあるソウル市長選の候補一本化だけでなく、今後の大統領選候補選出の過程で扉を開き、譲歩と犠牲を見せなければならない。

 

党に若い血が流れ、譲歩と犠牲を実践してこそ、保守野党を4回連続して全国選挙で敗北させた主犯である既得権イメージを打破することができる。昨年の総選挙の惨敗から少し状況が良くなったからと特有のセレブの本性を現しては再び死につながる。それでも保守指向の有権者は選挙になれば「国民の力」に入れると勘違いしてはならない。保守は「国民の力」に飼われたウサギではない。