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偏見に対抗し宇宙へ挑戦する

Posted January. 16, 2021 08:28,   

Updated January. 16, 2021 08:28

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「もうほどほどにしましょう。ファイルに綴じてください」

リンドン・ジョンソン米副大統領は1962年3月15日、リーズ・カーペンター補佐官が作成した手紙の素案に手書きでこう書きとどめた。

受信者は、当時の米航空宇宙局(NASA)を総括したジェームズ・ウェブ局長。手紙の内容は、宇宙飛行士の資格試験に合格したが「マーキュリープロジェクト」(米政府が1958~1963年に勧めた初の有人宇宙計画)選抜から外された女性飛行士たちに公平な機会を与えなければならないことだった。皮肉なことに、ジョンソン氏は、女性と有色人種の平等な雇用機会を確保を定めた「社会的弱者優遇政策」に署名した当事者だった。

冷戦の真っ只中だった1957年にソ連が初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げると、衝撃を受けた米国はソ連より先に自国民を宇宙に送ることにした。

これを受け、1959年4月9日に選抜された7人の宇宙飛行士「マーキュリーセブン」は、全員白人男性だた。この本は、当時これらと競争した女性飛行士13人の話を扱った。


金相雲 sukim@donga.com