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2世紀ぶりに取り戻した作家名

Posted July. 23, 2020 08:41,   

Updated July. 23, 2020 08:41

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シンプルな白いドレスを着た若い女性が絵を描いている。右手には鉛筆を握り、左手は足の上にのせた黒い画板をつかんでいる。ブロンドの長い髪を結い上げ、少し前かがみになって生気あふれる強烈な視線で私たちを見ている。

1917年にこの絵がニューヨークのメトロポリタン美術館に寄贈された時、疑いなくフランス新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの傑作と思われた。絵はまもなく「ニューヨークのダヴィッド」と呼ばれ、美術館で最も人気がある名画になった。しかし、1951年に衝撃的なことが起こった。美術史家チャールズ・スターリングは、ダヴィッドが参加を拒否した1801年のパリのサロン展にこの肖像画が出品されたとし、画家はダヴィッドの女弟子だったコンスタンス・マリエ・シャルパンティエと推定されると主張した。有名美術史学者の意見は直ちに真理のように受け入れられた。

 

これまでダヴィッドの傑作と賛辞を送った学者は、突然態度を変えた。ダヴィッドに匹敵する驚くべき女性画家の発見ではなく、作品の誤った部分や弱点が説明されるとし、「女性的な」絵だと蔑んだ。1995年、美術史家マーガレット・オッペンハイマーは、別の女性画家マリーデニス・ヴィレールの作品だと主張した。ヴィレールについては、画家の家庭に生まれ、2人の姉とともに肖像画家として活動し、建築家と結婚したということ以外、分かっていることはほとんどなかった。美術史家アン・ヒゴネットは、画家はヴィレールイであり、絵の中の背景は女性の美術学徒たちのアトリエに使われたルーブルのあるギャラリーの中ということまで明らかにした。絵の中のモデルは画家の友人だったシャルロット・ディバル・ドネで、当時2人ともそこの学生だった。

現在、美術館は作家名をヴィレールと表記している。名前を取り戻すまでに2世紀もかかったのだ。ヴィレールは結婚後も作品活動を続けたが、ごくわずかしか残っていない。もしかすると、男性画家の名前をつけて美術館の壁にかかっているものがあるかもしれない。