26年前、助監督だった頃の秋の日、映画館を出て、このように心温まる面白い映画を作りたいという思いで胸がいっぱいになった。
米国の小都市で職業紹介所を経営する平凡な40代のデイブは、現職大統領に似た容姿のおかげで、大統領の雑多な行事の代役に抜擢される。彼が初めて任務を無事に成し遂げた日、大統領が脳卒中で倒れ、植物人間になるという国家的な事故が起きる。すぐに副大統領に知らせなければならない緊急事態だが、大統領選出馬の夢を抱いた秘書室長は、副大統領どころか大統領夫人もだまし、デイブをかかし扱いして計略を企てる。正直で謙虚なデイブのおかげで、むしろ支持率が上昇すると、慌てた秘書室長は彼を追い払おうとするが、デイブは自分の役割を立派に終える。最初のページから最後まで一気に読める本のように、2時間ずっとユーモアと感動でいっぱいだ。
デイブをまた見ると、大統領という職業は映画監督と似ていた。監督は自身が持つ才能を一人で表現する術がない。他人の能力を見つけ、合った役を与え、最高値を出せるよう促し、何人かの結果を調和させることが監督の役割であり才能だ。むろん、このすべての過程で私的な感情が介入してはならない。他人の金である制作費を一銭も容易く使ってはならないという節約精神は必須の徳性だ。私もまた監督になる前には分からなかった。この地位がどれほど孤独で恐ろしいかを。不安を吐露して甘えてもならない。そしてすべての責任は監督が負わなければならない。言い訳は禁物だ。
大統領の一挙手一投足はカメラの洗礼を受ける。好奇心と関心の対象というよりも、監視の対象に近い。人気よりも正しい道を悩まなければならないというデイブの最後の演説は、リーダーを夢見る人々に羅針盤になるだろう.
監督を尊敬すればするほど、スタッフと俳優は献身する。普段、デイブに高圧的だった警護員の最後の挨拶は感動的だ。代役初期に、自分のために銃が受けることができるか、というデイブの質問に返事を避けた彼が、一般人に戻るデイブに、あなたのために死ぬことができると告げる。
デイブを見ると、政治エリート出身でもなく、衰退期に直面した米国を楽観主義と信念で立て直し、米国人が最も愛する大統領の隊列に入った俳優のロナルド・レーガン元大統領が思い出される。極端な陣営論理で分裂し、互いをけなしてばかりいる最近の韓国に、ユーモア感覚が豊かだったレーガン氏のエピソードを伝えたい。任期初期、暗殺犯の銃弾を胸に受けた彼は、手術室で緊張した医師たちにジョークを飛ばす。「君たちがみんな共和党員だといいんだがね」。すると医師の一人が言った。「大統領、今日は全員共和党員です」。