
「北方人、南方人」
昨年の中国出張で、よく耳にした言葉の一つだ。東北地方で会った中国人に地元料理を誉めると、彼は南方料理と詳しく比較しながら、北方料理に対するプライドを伺わせた。さらに、「北方人は南方人とは違って男前で、気さくだ」と付け加えた。実は、黄河中心の北方と揚子江中心の南方は、住民の外見から性向、生活風習に至るまで、はっきりと違う。
この本を読めば、中国で南方と北方の文化的背景が異なるのは、いわゆる「魏晋南北朝時代」に深く関わっていることが分かる。
米スタンフォード大学・中国史専攻教授の著者は、「魏晋南北朝時代」の「魏晋」を切り取り、「南北朝(the northern and southern dynasties)」だけを本のタイトルに明記した。後漢が滅亡し、隋・唐が中国を再統一するまでの400年間を南北朝と称しているのだ。
数多くの王朝が興亡を繰り返したこの時代を、著者が南北の枠でとらえることには、それなりの理由がある。同期間、異民族の侵略によって相当数の漢民族が北方から南方に移住し、多様な社会・文化的土壌が整ったからだ。
漢民族は南方の山間僻地を農地に開拓し、中国の経済基盤を築き上げた。これは、魏晋南北朝時代の華麗なる貴族文化形成に貢献した。特に南方の豊かな穀物を北方に運ぶため隋の煬帝が作った大運河は、中国の大陸統一に大きな役割を果たした。
特に著者は南北朝時代の北方遊牧民の役割に注目している。すなわち、漢民族が建てた隋・唐王朝は、西暦5、6世紀に異民族が北方に建てた北魏、北周、北斉の制度・慣行を大きく吸収したということだ。
김상운 キム・サンウン記者 sukim@donga.com






