
「正直に言って、『奉祭祀接賓客』(祭事をし、客を迎えること)は大変だという考えは、今でもなくはありません。しかし、今はなぜその重荷を負わなければならないのかが分かるようになりました」
儒学研究者なので、堅い印象だろうという記者の先入観は外れた。退渓(テゲ)李滉(イ・ファン)の17代直系子孫で退渓の哲学を研究する成均館(ソンギュングァン)大学のイ・チオク招聘教授(41)は、映画俳優のように端整な顔立ちだった。健在のイ氏の父親が16代宗孫だ。最近、退渓学の権威者である全北(チョンブク)大学倫理教育科の金基鉉(キム・ギヒョン)教授と『人生教科書 退渓』を書いたイ氏は、「『儒教文化の退出方法を模索するために』儒学の勉強を始めた」と語った。
「宗家は常に客人に開かれた家です。私生活もなく、『お前は今後宗孫になるため、礼儀正しく模範的でなければならない』という言葉が、いたずら好きの子供の頃はとてもプレッシャーでした」
20代の頃は、老荘思想やオランダの哲学者スピノザの哲学に熱中した。イ氏は、「今は『儒教には捨てるものがない』という結論に至った」とし、「先祖の生き方を受け入れられるようになった」と話した。
父親が暮らす慶尚北道安東(キョンサンプクト・アンドン)の故郷の家では、退渓先生を称える不遷位祭事や流頭茶祀(流頭節の陰暦6月15日に新しい穀物を先祖に捧げる儀礼)など、毎年行われる祭事が10回を超える。それでもイ氏が子供の頃よりは減ったという。イ氏は、自分も妻も祭事にほぼ参加するという。「祭事は、自分たちの存在の関係性を横に縦に確認することです。美しい文化がなくなるのは間違ったことです」。
儒学、その中でも先祖である退渓の学問を研究することに対して、父親が憂慮したという。「学問の中で、退渓の哲学は不十分な点があると言えるが、子孫の道理としてそれはいけないのではないか」という心配だった。イ氏は、「父に叱られると思ったが、今は喜んでいる」としつつも、「父も退渓の学問を勉強しましたが、私が書いた本が不十分ではないか常にプレッシャーです」と話した。
同書は、人生に関する質問に退渓の代わりに答えるという形式だ。イ氏は、「主理論を人間に限定して説明するなら、本来だめな人はおらず、だめと考えるのは、自分が高貴な本性を持って生まれたということを知らずにいるためだ」とし、「世の中も同じだ」と話した。
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