深夜、ヘッドホンをつけて、CDプレイヤーでシューベルト「鱒」の5重奏をかけます。第4楽章で歌曲「鱒」のテーマが流れてから、5人の演奏者が息を殺した瞬間、「リリリリリリ…」という音が聞こえてきます。微かにとはいえ、確かにコオロギの鳴き声です。
「…?」ヘッドホンを外します。何も聞こえてきません。そうです。それは、演奏会場のマイクに拾われたコオロギの鳴き声でした。
演奏は1967年、米マールボロ音楽祭で収録されたものです。ルドルフ・ゼルキンがピアノを弾き、バイオリニストのハイメ・ラレード、チェリストのレスリー・パルナスといった名人達が、演奏に参加しました。多くの夏の音楽祭がそうであるように、マールボロ音楽祭も、草原のある野外で、演奏を鑑賞します。自然の優れた音楽家であるコオロギ達も、美しいハーモニーに参加したかったでしょう。
そういえば、「鱒」5重奏は、夏休みのシーズンを迎えて楽しむにはもってこいの作品です。1819年の夏、シューベルトは、オーストリア山間地域のシュタイアに、休暇に出かけました。地元の有力者・パウムガルトナーの招待を受けたからです。パウムガルトナーはシューベルトに、「先生の歌曲『鱒』が好きだ」と言い、「私や私の友人達が演奏できるよう、このメロディーで、室内楽の作品を書いてほしい」と依頼し、シューベルトは、快く受け入れました。その夏、きれいな小川の流れる山間には、アマチュア音楽家達が奏でる「鱒」が響き渡ったはずです。そして私も2年前の夏、茂朱(ムジュ)で夏休みを過ごし、谷間の飲食店の中で、鱒料理を見つけました。それを注文し、「いただきます」と味見をしましたが、とても美味しかったですね。
夏休みシーズンによく似合う音楽として、先日「マーラーの交響曲1番と似ている部分がある」と紹介したブラームスの交響曲2番も、紹介に値します。ブラームスが1877年夏、オーストリア南部の山や湖に取り囲まれた休養地・ベルチャッハに滞在しながら書いた作品には、あの場所の美しい自然が溢れ出ています。ゆっくりと赤く染まる夕日、山のきれいな空気、有名な「子守唄」の一部まで盛り込まれています。集中して聞くよりは、ボリュームを半分ぐらいにしておいて、本を読んだり、景色を眺めながら聞くのによい作品ですね。皆さん、この夏休みを既に過ごされた方は幸せな夏休みであったことを、これから過ごされる方は幸せな夏休みであることを心より望みます。






