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「脱出せよ、救助信号は私が送る」 乗組員21人救った故ユ・ジョンチュン船長

「脱出せよ、救助信号は私が送る」 乗組員21人救った故ユ・ジョンチュン船長

Posted May. 10, 2014 07:39,   

沈没した旅客船「セウォル」号船長のイ・ジュンソク被告と違って、同様の状況で身を殺して仁を成すシーマンシップを発揮した英雄がある。ハナ号の故ユ・ジョンチュン船長の事例は、切羽詰った状況の中での船長のシーマンシップがどれほど多くの人たちの生死を分けることができるかを、はっきり示している。

ユ船長は1990年3月1日午後1時51分ごろ、済州道(チェジュド)南西側370マイルの海上で、束草市(ソクチョ)船籍の100トン級のイカ釣り船「602ハナ号」を取り仕切っていたところ、沈没危機に見舞われた。いきなり吹き付ける強風や4メートル高さの激しい波のため、船の中に水が入り、船が傾きはじめた。

一触即発の状況の中、ユ船長はまず、乗組員21人を救命艇に避難させた。しかし、誰かが船に残って、周辺の複数の船舶に救助信号を送らなければ、救命艇の安全は担保できない状況だった。ユ船長は、救助信号を送るため、操舵室に1人残った。それから5分足らずで、船は転覆した。

しかし、ユ船長がSOS信号を送ったおかげで、乗組員たちは、事故後12時間後に到着した別の漁船によって助けられた。ユ船長やハナ号は、深い海の中に永遠に姿を消した。当時、ユ船長の年齢は44歳。1人息子のスンリョル氏の海洋大学入学式を数日後に控えた日だった。

今は船長になった当時のハナ号の最年少の乗組員のチェ・ホ氏(48)は、「非常ベルが鳴ったあと、船長は切羽詰った声で、『救命艇を開いて早めに脱出しなさい』と指示した」とし、「もし、船長が救助信号を送らず、救命艇に乗っていたなら、我々は皆、水葬されただろう」と話した。当時、ハナ号の乗組員21人を救助し、済州道に運んだ束草船籍のマンソン号のキム・マンホン船長(70)は、「ユ船長は、乗組員らを家族のように大事にしていた責任感の強い人だった」と振り返った。

ユ船長の身を投げての救助は、救助された乗組員らの口を通じて、世間に知られた。ユ船長の葬式は、同月9日、前例の無い「全国漁民葬」で執り行われた。政府はその後、ユ船長に国民勲章・木蓮章授与した。江原(カンウォン)束草市のエキスポ公園の中には、今、彼の銅像が建てられている。先月30日、ユ船長の銅像の前には、誰から置いた一束の菊の花や黄色いリボンがはためいていた。