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朴正熙と金日成の百年戦争

Posted February. 22, 2014 06:11,   

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朴正熙(パク・チョンヒ)と金日成(キム・イルソン)は、韓国の現代史に決定的な影響を及ぼした宿命のライバルだった。朴正熙は18年、金日成は49年間政権に就いた。同じ民族である韓国と北朝鮮は、2人の時代を経て完全に別の国に変わり、今日に至った。

金日成は1912年、朴正熙は1917年生まれだ。金日成が生まれて100年を目前にした2011年12月、息子の金正日(キム・ジョンイル)が絶対権力の生涯を終え、孫の金正恩(キム・ジョンウン)が3代世襲を始めた。朴正熙生誕100年の翌年である2018年2月には、娘の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が退任する。北朝鮮は王朝的権力継承、韓国は国民の直接選挙ではあるが、偶然にしては妙な偶然だ。朴正熙と金日成の遺産は現在進行形だ。

政治的出発は金日成が有利だった。抗日闘争の経歴を持つ彼は、1945年にスターリンの支援で33才の若さで最高権力者になった。1961年の軍事政変で政権を取った朴正熙は、日本軍初級将校の経歴のため名分で遅れを取った。1960年代初めは経済力も北朝鮮が韓国を圧倒した時期だった。

しかし、「棺のふたを閉じた後」、国家指導者としての成績表と評価は逆転された。アフリカのスーダンやガーナほどの最貧国だった韓国は、朴正熙時代を経て経済奇跡を生んだ。自由と人権の制約というコストは払ったが、産業化の成功にともなう中産層の成長を基礎に朴正熙の死から8年後の1987年に民主化も達成した。一方、金日成王朝の北朝鮮は生存すら手にあまる死の地に墜落した。

最近では、国際社会で金日成一族の統治を肯定する人はいない。北朝鮮の耀徳(ヨドク)収容所は、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所を上回る深刻な人権弾圧の象徴と見なされている。国連の北朝鮮人権調査委員会は、金日成、金正日、金正恩の「3代首領」が犯した人道に反する罪を糾弾した。多くの住民が飢えや寒さ、暴圧政治によって死に追いやられているにもかかわらず、金日成王族は超豪華な生活を楽しみ、数十億ドルの秘密資金を海外に持ち出した。

米ハーバード大学名誉教授のエズラ・ヴォーゲルは、「朴正熙は国家のために情熱を傾けたリーダーであり、その時機を逃したなら、韓国の産業化は難しかっただろう」と話した。米国の中国専門家ウィリアム・オーバーホルトも、「韓国の今日は朴正熙がいなければ不可能だった」とし、頳小平が推進した中国の近代化戦略は「朴正熙モデル」を模倣したと断言する。両者は、過去に朴正熙を批判した学者だ。朴正熙時代を経験した韓国人の中でも、若い頃に彼を嫌ったが、功績と過失の評価の中心を移した人が多い。

朴正熙でなくても韓国経済は今のように発展したという一部の主張は、国内外の世の中の流れを分かっていない幼稚な認識と考えるが、それは思考の自由としておこう。しかし、朴正熙にはあらゆる批判をし、経済、福祉、自由、人権、言論などのすべての面で最下の金日成王朝の暴政に沈黙し、庇護する一部勢力の危険な思考は容認できない。裁判所が内乱陰謀と国家保安法違反の容疑で有罪判決を下した李石基(イ・ソクキ)ら集団が代表的だ。

朴正熙と金日成の「百年戦争」もクライマックスに近づいた。韓国社会が集団自滅の道を選ばなければ勝負は明らかだ。「朴正熙の国」が残した肯定的な遺産を受け継ぎ、弱点を補完し、「金日成の国」で地獄を経験する北朝鮮同胞と力を合わせて統一韓国の大長征を始めるその日はいつ来るだろうか。