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[オピニオン]スペシャル五輪とボランティア

[オピニオン]スペシャル五輪とボランティア

Posted February. 06, 2013 08:14,   

知的発達障害のある人の祭りである13年平昌(ピョンチャン)冬季スペシャル五輪世界大会が5日で閉幕した。8日間行われた今大会には106カ国から約3000人の選手団とほぼ同数の2800余人のボランティアが大会期間を通して一緒に汗を流した。スペシャル五輪は金メダル争いをする「少数エリートに歓呼する従来の五輪とはずいぶん雰囲気が違っていた。

◆先月30日、江原道(カンウォンド)平昌郡アルペンシアリゾートのコンサートホールで開催されたスペシャル五輪文化行事の初日プログラムの「バレエ&ミュージック」に出演したペク・ジユンさん(21、デジタルソウル文化芸術大)はダウン症候群バレリーナだ。母親のイ・ミョンヒさん(48)は生まれたばかりのジユンさんがダウン症候群であることを知った時の絶望感は言葉で言い表せなかったという。小学校6年生の時、「くるみ割り人形」を観たジユンさんはあれから舞台の上を飛ぶバレリーナを夢見た。数箇所で断られた末、やっとバレエ塾に通うことができたジユンさんは、練習途中、1日に何度も泣きながらもバレリーナとしての夢を諦めなかった。「バレエをする時は、私が『いじめられた』という事実を忘れることができてバレエが好きだった」という彼女は、国立バレエ団が主軸になったこのイベントで、「ジゼル」の中のペザント・パ・ド・ドゥ(小作農2人舞い)の女子ソロー部分を上手にこなした。賞もメダルもなかったが、彼女は「やり遂げた」という喜びで一杯だった。

◆開幕式で愛国歌を歌ったパク・モセさん(21)は生まれた時、後ろ側の頭骨がなくてその隙間から脳が流れ出した障害者だった。流産を薦めた医者の言葉を断って、母親のチョ・ヨンエさん(49)は子どもを産んだ。生まれるや否や大手術を受けたモセは、頭を塗ったまま、インキュベーターに入った。数回の脳手術の末、ようやく命が助かった。そんなモセさんは、5歳の時にしゃべり始め、7歳の時から歌を歌い始めた。まさしく「モーセの奇跡」だった。モセは、江原竜平(ヨンピョン)ドームを埋め尽くした約4000人の観客が見守る中で、愛国歌を立派に歌った。産まれてきても生きることが難しく、手術しても死ぬ、しなくても死ぬという医者の言葉を無視して産まれてきたモセさんは、たくさんの障害者に希望の光を届けた。

◆今度の五輪で選手らは、アルペンスキーやクロスカントリー、フィギュアスケート、ショートトラックなど7種目の金メダル55個をめぐって「ビリも美しい競争」を繰り広げた。彼らは社会の見えない偏見と差別の壁を越えて、我々の前に堂々と立った「巨人」だった。知的障害者が望むのは「哀れむ心」ではなく、「みんな一緒に(we together)」という共同体意識だ。ボランティアらはまさに「我々は一つ」という仲間意識を見せてくれた。スペシャル五輪が障害者も我々の隣人という事実に気づく契機になってほしいものだ。一回性でないでほしいという望みと共に。