
●1968年「世にも稀な力持ち、イム・コクジョン」が最初
国内の3D映画の始まりは、1968年に公開された李ギュウン監督の「世にも稀な力持ち、イム・コクジョン」だ。同年、林權澤(イム・グォンテク)監督の映画「夢女」も3Dで作られた。しかし、精密な撮影手法やコンピューター・グラフィック(CG)技術に支えられ、上映館も充実している最近の3Dブームは、かつてのような一時的な流行ではなく、有声映画やカラー映画の導入に匹敵する「パラダイムの転換」と、専門家らは口をそろえる。
本格的な国内3D実写の長編映画の計画も相次いでいる。ユン・ジェギュン監督のSFの超ヒット作品の「第7鉱区」やファンタジーの「テンプルステー」、02年の延坪(ヨンピョン)海戦を題材にしたクァク・ギョンテク監督のブロックバスター、「美しい私たち」が3Dとして制作される見通しだ。08年に放送されたEBSドキュメンタリー映画「韓半島の恐竜」も、再び3Dとして制作されている。
しかし、国内3D映画の技術は、まだ初歩的なレベルだ。映画振興委員会・技術事業部のチェ・ナムシク課長は、「米国やヨーロッパでは、数十年前から3D映画の研究が行われ、関連産業が定着しているが、国内では基本的な技術トレーニングが必要な状態であり、装備も非常に足りない」と語った。3D立体装備の開発メーカーのレッドローバーの金ジョンフェ所長は、「3D映画制作には、企画やシナリオ、撮影、演出に至るまで、全ての制作システムを3Dにあわせて備えなければならないが、韓国はシステムそのものが存在しない上、制作経験も全くない」と説明した。
「アバター」のジェームズ・キャメロン監督が、撮影監督のヴィンス・ペイスと共に、立体撮影専門会社「ペイス」を設立し、3D映画の研究に打ち込んだ上、ソニーと共同で立体実写カメラ装備を開発し、世界的なヒット作を誕生させたことと比べれば、雲泥の差だ。
●「撮影技術は2、3年内に大きく発展するだろう」
昨年、チェ・イクファン監督は、映画振興委員会の立体映画テストベッド事業に参加し、8000万ウォンの支援を受け、15分の短編映画「釘」を制作したものの、依然、国内3D技術を試す「テスト用」段階という評価を受けている。チェ監督は、「今後2、3年で3Dの撮影技術は、驚くべきスピードで発展するだろう」とし、「技術より重要なのは、観客らが3Dを新たな『体験』と感じることができるよう、映画のストリーやキャラクターも3Dに歩調を合わせなければならない」と語った。2Dでも十分に感動できる素材を、3D映画で制作し、効果を上げることは難しいという意味だ。
3Dに適した映画素材としては、スポーツや公演など、空間感覚を満喫できる映像だ。08年、米国で公開され、興行に成功した3Dドキュメンタリー「ハンナ・モンタナ」の場合、アイドル歌手、マイリー・サイラスのコンサートを、デジタル立体方式で撮影した。
立体コンテンツ制作会社であるビックアイエンターテインメントのチェ・ヨンソク代表は、「2D映画とは異なり、3D映画は観客が空間を体験しなければならず、新たな方式の物語が求められる」とし、「ストリーの展開から3D空間の体験に適するよう、最適化を図る企画力や演出力が急務だ」と語った。
光云(クァンウン)大学・情報ディスプレー学部の李丞玄(イ・スンヒョン)教授は、「3D映画の制作に向け、芸術性や技術力を融合した専門人材を養成する必要がある」と助言した。
一方、最近の国内劇場業界の3Dの上映館の充実化も注目に値する。CGVは、全体575の上映館のうち、84の3D映画の上映館を、今年は全体上映館の30%に増やす計画だ。ロッテシネマも、411の全ての上映館のうち、34の3D上映館を、今年は2倍に増やす計画だ。
savoring@donga.com