天才と呼ばれた少女がいた。まだ10代の年齢で男女プロゴルフ大会をあまねく経験し、華麗なスポットライトを浴びた。数千万ドルに上る巨額のスポンサー契約まで結んだ。富と名誉を同時に手に入れて、世界を全部自分のものにしたかのようだった。
しかし、度重なる不振の中で周りの期待は失望と批判へと、うって変わった。負傷まで重なり、厳しい時間を過ごした。いつの間にか彼女は剥製になったようだった。
耐え難い試練を経験したためなのだろうか。喉から手が出るほど望んでいた優勝トロフィを抱えたミシェル・ウィー(20)は、自分に数々の試練をもたらした空を見上げて明るい笑みを浮かべた。
16日、メキシコにあるグアダラハラCCで開催された米国女子ツアー(LPGA)第26戦「ロレーナ・オチョア・インビテーショナル」の最終日。ミシェル・ウィーは3アンダー、69打を記録し、通算13アンダー・275打で優勝を手にした。13歳の時の02年、武富士クラシックでLPGAに初出場して以来、8年にわたって65度目の挑戦の末に獲得した初優勝だった。
ハワイで生まれて5歳の時にゴルフを始めたミシェル・ウィーは、ジュニア時代、主要大会ごとに「最年少」というタイトルを自分のものにし、名を馳せた。183センチの長身に300ヤードを越える長打はトレードマークだった。一瞬にして「女子タイガー・ウッズ」としてフィールドを席巻しそうだったが、現実はそれほど甘くなかった。男子大会に乗り出し、男女対決に挑んだものの、相次ぐ失敗で無謀な挑戦という厳しい指摘を浴びせられた。16歳の時の05年、プロに飛び込んだものの、デビュー舞台だった三星(サムスン)ワールドチャンピオンシップで失格処分をうけた後、熱い涙を流した姿は未だに記憶に鮮やかだ。
07年、米スタンフォード大学に入学し、ゴルフをやめるのではないかという憶測も呼んだ。米名門大の在学生として勉強と運動を並行するのは決して容易でないからだ。弱り目に祟り目のように、同年、手首を痛め、LPGAツアーに7回招待選手として出場したが、平均打数が76.9打まで多くなった。2回の棄権で仲間からは冷ややかな視線を浴びた。08年にはスコアカードの誤記によって失格となるという、とんでもないミスで非難された。Qスクールを経て、今季、LPGAツアーの正式メンバーになったが、依然として優勝には届かず、無冠のジンクスに苦しめられた。
取れそうで取れなかった優勝への道はそのように遠くて険しかった。それでも諦めなかったミシェル・ウィーは64戦に臨み65回起きあがった末、とうとう優勝カップを手にした後、このように感想を述べた。「ああ、人生は美しい」。
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