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クリーブランドの秋信守、他界した師匠に涙の本塁打

クリーブランドの秋信守、他界した師匠に涙の本塁打

Posted July. 06, 2009 08:21,   

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「先生の霊前にのホームランをお供えします」

米プロ野球大リーグの秋信守(チュ・シンス、27=クリーブランド)が太平洋の向こうから師匠の永遠な安息を願う「哀悼のホームラン」を届けてきた。

秋信守は4日、オークランドとのホーム試合を控え、予想も付かなかった話を聞かされた。釜山(プサン)高校時代の師匠だったチョ・ソンオク東義(トンウィ)大監督が肝臓癌で亡くなったという話だった。チョ監督は4月、大学野球春季リーグでチームを首位に導いた後、癌が発見され、治療を受けてきたが、同日午前、48歳の年で死亡した。

秋信守にとってチョ監督は父親同然の存在だった。1984年、ロッテに入団して12シーズンを活動したチョ監督は、1997年、秋信守の入学と共に釜山高の監督に就き、マルチプレーヤーの秋信守を育て上げた。

小中学校時代、同じ年ぐらいの子とは比べものにならないほどの技量で、釜山だけでなく、全国的にも名を馳せていた秋選手だったが、チョ監督は彼を厳しく指導した。

秋信守は、チョ監督のことを「いくら上手にやっても一度も褒めてくれなかった方」と覚えている。秋信守とチョ監督は00年、カナダで行われた世界青少年選手権大会で監督と選手として共に出場し、優勝カップを獲得した縁もある。秋信守は、大会最優秀選手と優秀左腕投手に選ばれ、大リーグのスカウトらの目に留まり、その年、シアトルに入団した。

秋信守は4日、試合で師匠をあの世へ送る悲しみをバットに乗せて吐き出すように猛打を振るった。大リーグデビュー後、初の連打席ホームランを含め、5打数4安打7打点4得点のワンマンショーを披露したもの。秋信守は5回、中央のフェンスを越える3点ホームランで最初の哀悼砲を放った。師匠を送る道に1本の哀悼砲では足りなかったのだろうか。彼は次の打席の7回、再び夜空を割るホームランを放った。試合後、秋信守は、「チョ監督は私が苦労していた時も最後まで私の事を信じてくださった父親のような存在だ」と話した。

秋信守の猛活躍ぶりに、クリーブランドの地元マスコミを含め、各インターネット掲示板には「真の万能選手」「クリーブランドの看板」など、彼を褒め称えるファンの書き込みが殺到した。

クリーブランドのエリック・ウェッジ監督は、「立派なマルチプレーヤーの選手だ。大リーグ最高の選手になる可能性が十分ある」と褒め立てた。

秋信守は5日、オークランドとの試合にも右翼手兼4番打者に先発出場して、3打数1安打で3試合連続安打を記録し、3割0分1厘の打率をキープした。クリーブランドは5対2で勝利した。



wing@donga.com