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[オピニオン]明洞芸術劇場の再開館

Posted May. 13, 2009 08:10,   

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韓国戦争で廃墟と化したソウル明洞(ミョンドン)に1951年、いくつかの喫茶店が店を開くと文人や芸術家たちが再び集まってきた。彼らは、喫茶店で、飲み屋で人生と芸術を語った。「一杯のお酒を飲みながらバージニアウルフの生涯と木馬に乗って去って行った淑女のこづまを語る」。詩人朴寅煥(パク・インファン)の「木馬と淑女」に出てくる詩とおりの一日を過ごしたものだ。詩朗読会を持ち、音楽の夜を開き、美術展示会を開催した。明洞は1950年、60年代の文化芸術の産室として、純粋さとロマンが溢れるサロンだった。

◆1957年、国立劇場が明洞にできてから「明洞時代」は一段と賑わいを増して行った。テレビのない時代に演劇は最高の人気だった。国立劇場は、初期は演劇だけを上演したが、次第に舞踊や合唱などへとジャンルを拡大していった。明洞は芸術家と文人たちで賑わった。タレントのチェ・ブルアムさんの母親が運営していた「ウンソン」という名の飲み屋は、貧しい文化芸術家たちの溜まり場だった。文人や芸術家たちにはいつでもツケにしてくれる、人情豊かな店だった。

◆政府は、日本植民地支配からの独立直後に、北朝鮮の公演芸術が相当のレベルにあるという話に刺激され、国立劇場の創設を急いだ。日本植民地時代に活動した演劇人たちが解放直後、大挙して北朝鮮に渡ったため、北朝鮮は一歩進んでいたのだ。しかし国立劇場は1950年4月に創設後初の作品として演劇「元述郎」を上演するや否や韓国戦争が起きたため、これといった活動をすることができなかった。その後、ソウル市が所有していた市の公館を一緒に使う形で明洞入りしたのだ。1973年、ソウル奨忠洞(チャンチュンドン)に新しい国立劇場を建てて移転して明洞国立劇場はなくなり、明洞の役割も徐々に終わってしまった。文人や芸術家たちは明洞を離れた。

◆旧国立劇場が「明洞芸術劇場」という名で34年ぶりに再び開館する。1975年、民間に売却された建物が原型を失わないまま保存されているのは幸いなことだった。政府が文化芸術界の意見を聞き入れて再び買い入れ、劇場を復元したのだ。6月5日の再開館を控えて、ここを訪れる長老の演劇人たちが涙を流したという。明洞が再び文化の中心地になることを切に祈る気持ちだろう。貧しかったけどロマンがあった時代を懐かしむ気持ちも働いたはずだ。ここが明洞芸術の復活をけん引してくれることを期待する。

洪賛植(ホン・チャンシク)chansik@donga.com