「72時間リレー国民行動」2日目の6日にも、「狂牛病(牛海綿状脳症=BSE)危険米国産牛肉全面輸入に反対する国民対策会議」は、ソウル市庁前のソウル広場で、約3万人(警察推算)が集まった中、ろうそく集会の後に街頭に繰り出した。
これに先立ち、前日夜、街頭デモに参加した約300人のデモ隊は、ソウル広場周辺に設置された30のテントや芝生、清渓(チョンゲ)広場などで夜を明かした。
▲昼から街頭デモ、警察は阻止せず〓デモ隊は6日正午から、ソウル市庁前のソウル広場周辺に集まり始めた。午後1時50分頃、約3000人が車道に進出した。
このうち約2000人は、世宗路(セジョンロ)の交差点を通って、安国洞(アングクドン)を経由して大統領府と近い三清洞(サムチョンドン)付近まで進出し、警察が制止すると、憲法裁判所前を通って、世宗路の交差点に戻ってきた。
約1000人は、崇礼門(スンレムン)前まで行進した後、安国洞に向かい、世宗路の交差点で待っていた約2000人と合流して、午後5時10分頃にソウル広場前の道路に移動した。
デモ隊の中には、10〜20代の青少年で、ダウム・カフェ「アゴラ」などのインターネット・カフェのユーザーが目についた。
国民対策会議は、ソウル大学路(テハクロ)のマロニエ公園で、午後4時から約2000人の市民が参加した中、「国民無視告示強行李明博(イ・ミョンバク)政府審判汎国民大会」を開催した。
同大会には、統合民主党の丁世均(チョン・セギュン)、宋永吉(ソン・ヨンギル)、崔宰誠(チェ・ジェソン)議員らが出席し、ソウル広場の街頭デモとは違って、家族単位で参加した市民が多かった。
警察は、交通進行の妨害を理由に集会禁止を通告したが、彼らは予定より早い午後4時30分に道路に出て、鐘路(チョンロ)から乙支路(ウルチロ)を経て、ソウル広場まで移動し、午後6時頃にろうそく集会に合流した。この過程で、警察はデモ隊を制止せず、衝突はなかった。
▲広場の「不安な同居」〓6日午後まで、ソウル広場では、米国産牛肉輸入反対のデモ隊と北朝鮮派遣工作員を追悼する団体が張り詰めた緊張の中で、不安な「同居」を続けた。
この状況は、元北朝鮮派遣工作員と特殊情報部隊出身で構成された大韓民国特殊任務遂行者会の会員たちが、慰霊祭を終えて午後7時頃に広場から撤収するまで続いた。
彼らは前日午後から、広場中央の芝生の上に、約7700人の戦死者の位牌と大型の太極旗(テグクキ=韓国国旗)3つの大型テントを設置し、約200人の会員が交代で、108拝を行なった。
広場の外に追い出された「狂牛病危険米国産牛肉全面輸入を反対する国民対策会議」側は、周辺の歩道に約20のテントを張り、広場周辺は「キャンプ場」に変わった。
広場の東には、ソウル市主催で7日まで開かれる世界女子スカッシュ大会の本部のテントまで設置され、歩行者は、テントの列を避けながら通行しなければならなかった。
インターネット上には、「特殊任務遂行者会の幹部15人が4日、大統領府の国家有功者の昼食会に出席した後、ろうそく集会を妨害するために、慰霊祭の場所を京畿道板橋(キョンギド・パンギョ)からソウル広場に移した」という非難が提起された。
しかし同団体は、「大統領府の昼食会には、別の報勲団体の関係者約250人とともに出席した。板橋は、200人だけで一杯になるほど場所が狭く、位牌を十分に供えることができ、交通が便利なソウル広場に移すことになった」と説明した。






