梁貴子(ヤン・グィジャ)の短編、『寒溪嶺(ハンゲリョン)』には長兄が登場する。「気迫は竹のようであり、全く隙のなかった兄」は、中年のうつ病にかかる。兄は両親の愛情を最も多く受けた子どもだが、弟や妹たちの学費まで責任を持つ大黒柱でもあった。口数は少なかったものの、家族全員を心から愛してきた頼もしい存在だった兄は、50歳を過ぎ、気力をなくしたように見えた。そのような兄をはたから見る妹は、涙が出そうになる。兄のこのようなイメージは、先日までは現実とそれほど違わなかった。
◆ちょうど10年後の金英夏(キム・ヨンハ)の短編、『兄が戻ってきた』(2004)では、正反対の兄が登場する。「洗濯機から妹のパンティーを盗み、あらゆる変態的行為を繰り返した」兄は、家出したが、「ブスの一人の女の子を連れて乗り込んできては」父親を殴りつける人でなしだ。極端的ではあるが、小説の中の兄の墜落は、ここ10年、韓国社会に押し寄せてきた家父長の墜落と軌を共にするという点から、ある程度は現実的なものだ。
◆最近はお兄さんがありふれている。彼氏や恋人はもとより、夫や酒屋の客まで「お兄さん」と呼ばれる。男性へのすべての呼称が「お兄さん」に統一されたようで、人前で、妹が本当の兄に向かって「お兄さん」と呼ぶのが気が引けるほどだ。女性たちの口からお兄さんが頻繁に出てくるのは、兄への渇望のためだというパラドックスがある。自分のことだけでも精一杯の世の中で、「ホンドよ、泣かないで、兄がいるから」という歌の歌詞のように、最後の瞬間にも自分を守ってくれる家族のように、いつまでも変わらない誰かを切に願う女心の反映(李青海=小説家)だという。
◆お兄さんという言葉にあまりにも簡単に「だまされる」男の心理をつかんだ女たちの手口だという分析もある。30代の申貞娥(シン・ジョンア)氏も、50代の卞良均(ピョン・ヤンギュン)氏を、メールでは「お兄さん」と呼んだ。もう一人の50代の「お兄さん」は、こう語る。「とりわけ、中年の男性たちは『お兄さん』に弱い。年を取って、性的なアイデンティティをなくしつつあるという不安への反作用的な心理かもしれない。検察の調査を受けたあと、微笑を浮かべる申氏と、正気を失ったような卞氏の姿が対照的だ。法律の領域を離れ、韓国の中年男性の肖像を見るようで、後味が悪い。
許文明(ホ・ムンミョン)論説委員 angelhuh@donga.com






